アセクシャルもJUNE? 『ボレロ』と3人のモーリス
映画を観ながら、「やった! これは『JUNE』で、特集が組めるぞ」と喜んで、「あ、もう『JUNE』はないんだった…」と、ガッカリすることが、たまにあります。
最近では、それがフランス映画『ボレロ 永遠の旋律』でした。
ベジャールの21世紀バレエ団の演目で有名な『ボレロ』の曲が、どうやって生まれたかを描いた、作曲家ラヴェルの伝記的ストーリー。
ボレロ誕生の経緯そのものが驚きなのですが、常にスーツをキッチリ着込んでいて、娼館に行っても脱がないラヴェルのキャラクターが興味深く、彼はゲイかもしれないと思わせられます。
しかも、ちょっとネタバレになってしまいますが、女性の監督は、彼をゲイというよりむしろアセクシャル(無性)としてとらえているようなのです。
アセクシャルなのにセクシー、女性たちによるサポート、モーリス・ラヴェルと小説の『モーリス』とモーリス・ベジャール…
作曲の締め切りに悩む様子は、マンガ家のそれと重なるのも、共感ポイントです(笑)
ただ、ボレロのダンスも映画で複数バージョン見ることができて見どころなのですが、スキン・ヘッドのダンサーじゃなく、ジョルジュ・ドンのような長髪美形に踊って欲しかったなぁ……
『JUNE』といえば、僕の著書『JUNEの時代 BLの夜明け前』のことですが(笑)
『SFマガジン』8月号で大森望氏が、彼のコラムで絶賛してくれて嬉しかったです。
しかし、そのコラムのイラストを毎回描いている永野のりこさんのイラストが、内容と違う感じで、これはもしかしてシカトされた? 何か、昔、永野さんを怒らせるような失礼をやらかしたっけ???
と、心配、気になっていました。
そうしたら10月号に、お詫び訂正が載っていて、編集部が間違えて以前の回のイラストを使ってしまったという…(泣)
すぐに編集部か永野さん御本人に確認しておけば、ずっと思い悩む必要はなかったわけです。
永野さんとは友好関係持続中ということでホッとしましたが、実は、絶交関係にある作家さんたちもいらっしゃるので、死ぬまでに何人和解できるか、僕以外のケースも含めた〈編集者の功罪〉を、明らかにして行くのも、自分のライフワークかなあと思っています。
で、まずは手近な(失礼)中田雅喜さん、すみません、実は絶交された理由自体が良くわかっていないのですが……いかがでしょう?
元・『JUNE』編集者
現・京都精華大学マンガ学部
佐川俊彦
『漫画家残念物語』第21回 掲載されなかった残念
今号の私の漫画『彼と私』を見て「へー、全然描かないくせに漫画家を名乗ってる笹生那実が、珍しく漫画を描いたのか!」とお思いの方、残念でしたー!これはずーっと前に描いた漫画です。どれくらい前かというと2010年、今から十四年も前!
これはその年発行予定(?)だった『らくがき帖』最終号(24号)に掲載されるはずでした。残念ながらその号は結局出ませんでした。
『らくがき帖』とは? 漫手の読者なら説明不要かと思いますが、年月も経ったので解説しましょう。水野流転さん主宰のサークル『楽書館』が最後に発行していたA5サイズ同人誌、それが『らくがき帖』です。
そもそも私にとって、70年代発足の老舗同人誌『楽書館』は初期には高野文子、さべあのま、千明初美、やまだ紫、高橋葉介、等々のキラ星のような皆様が寄稿していた憧れの同人誌でした。
B5サイズの立派な本『楽書館』と、続く『楽書風』は段々発行されなくなってしまったけど、二十一世紀になってしばらくしてから出た『らくがき帖』はすごいペースで次々と出していましたね!
最初の頃は年4回、コミティアの度に新刊出していたような。奥付を見ると「本文デザイン・まつむらまきお、青木俊直」とある。このお二人のお力でしょうか。
その『らくがき帖』は24号を最終号とする、最終号は二百ページ超えの本にする、と流転さんは決めたのです。そのため原稿大募集、というわけで私にも原稿依頼してくれました。
最終号とは寂しいですが、憧れの同人誌のラストを飾る一員になれるのは嬉しいことでした。
提出したのはこの4ページと、もう1ページPDFファイルで作ったコメントです。他の方々からもどんどん原稿が集まり、百ページは超えていたと思います。
それでも、残念ながら流転さんはなかなか本を作ろうとはしませんでした。まだ二百ページに届かない、と。そうして何年も過ぎてしまいました…。
コミティアで会う度、流転さんに「お待たせしてすみません」と謝られたけど、でも二百ページ分の原稿を集めようなんて、いくら待ってたって無理なんじゃ…?
と思っているうちに流転さんは残念ながら東京中野を去り、そして…本当に本当に残念なことに、昨年春、この世からも旅立ってしまわれました…。
ついに掲載されなかったことは、やはり残念です。もうあの原稿は失われただろう。せめてコピーでもあればなあ…
…あっ、そうだ、コピーした記憶はある! そのコピー、どこだ?
残念ながら探しても見つからない。そりゃそうだよね、何年も前のコピーなんて…と諦めておりました。
ところがつい先日、全く思いがけず、出てきたんですねー、そのコピーが!
こうして、コピーのコピーになりますが「掲載されなかった残念」な原稿は、漫手に掲載してもらえることになりました。残念なままじゃなかった!
でも残念なのはこの4ページと同時に提出した1ページコメントのPDFファイルです。これは本当に何処かに消えちゃいました。
そのコメントで書いた内容は…の前に言っておきますが、作務衣姿の「らくがきかんさん」は流転さんってわけじゃありませんよ。
これは2010年当時流行だった「擬人化」漫画。つまり初期の『楽書館』という同人誌に私が抱いていたイメージの擬人化なのです!
以下、消えてしまった1ページコメントに書いた内容を思い出して羅列。
真面目でおっかない、眼鏡の肉筆回覧誌くんは、鈴木光明先生が主宰だった同人誌の擬人化。鈴木光明門下生が少数精鋭だった時代、本当にこうだったらしい。和田慎二さんや山田ミネコさんの頃ね。
金髪で長髪のオフセット誌さんは、漫研クイーンの擬人化。クイーンは数多くの少女漫画家を輩出した同人誌。
あと「私」の姿は昔の漫画っぽく鼻を上向きの三角にした、こういう鼻は、よこたとくおの漫画によくあった…等々。
さて私はこのところずっと、旧尾崎テオドラ邸のギャラリー業務で超多忙であると書いてきました。
でも今夏の「ながやす巧 愛と誠の世界展」は三田紀房先生が全力で担当。また秋のマツオヒロミ展は、企画こそ私が立てましたが、展示計画や連絡業務などは洋館スタッフに任せることも増えました。
でもその次の次、十二月から来年一月にかけての展示は、フライングで情報漏洩しちゃいますが、水野英子展です。これはやはり、水野作品をよく知る私がまた頑張るしかない。
ちなみに九月~十月の有明アートスペーススカイギャラリーさんの「水野英子展」とは全く別の内容です。
水野先生の場合、原画展示は難しいのですよねー。原稿失くされたりしていて。
だから水野作品の中でもレアな短編をパネルにして全ページ読める展示…などを企画中です。十一月三十日から開催です。来てねー!
そして…最後になりますが、ささやななえこ先生のご冥福をお祈りいたします。
あまりお会いする機会はありませんでしたが、多くの方からとても慕われるお人柄だったことはよくわかります。素敵な作品をたくさん、ありがとうございました。
泉ゆき雄「ジャイアン」 後編
さあようやく「ジャイアン編」だ。
実にツッコミどころ満載の作品で、一体どこから突っ込んでよいやら困ってしまう。まあとりあえず一番わかりやすいタイトルから突っ込んでみようか(笑)。
いわゆる「ジャイアン編」は当初「少年探偵団シリーズ」の第2話として『たのしい四年生』1960年12月号から『たのしい五年生』1961年7月号の全8回にわたり掲載された。
開始時のタイトルは「怪人二十面相と少年探偵団」で原作:江戸川乱歩とクレジットされていた。ところが第4回目の『たのしい四年生』1961年3月号では「怪人二十面相と少年探偵団ジャイアン」となっている。しかも「ジャイアン」の文字だけでかでかと。さらによく見ると原作者の江戸川乱歩のクレジット表記が無くなっている(汗)。
第2回、第3回の掲載号が店の在庫に無かったので、国会図書館のデータベースで調べてみた。少なくとも1961年1月号の第2回目ではきちんと原作者クレジットされていた。第3回目の1961年2月号には作品掲載情報がない。国会図書館では本誌以外の情報が載らないのでおそらく掲載は雑誌付録にされた可能性が高い。こういうときには大阪国際児童文学館のデータベース。さすがきちんと蔵書がある。現物確認が出来ていないが、少なくともデータベース上では原作者クレジット表記がない。
第1回から第3回の間に何が起きたのだろう。講談社が原作代支払うのをケチったか、はたまた江戸川乱歩がマンガの内容に激怒して机ひっくり返したか。まあ講談社は戦前の少年倶楽部の時代から少年探偵団シリーズでお世話になっているから多少の原稿料をケチったりはしまい。だとすると何が江戸川乱歩の逆鱗に触れたのか?
まずは「ジャイアン編」のストーリーをかいつまんで紹介してみよう。
今回の主人公は小林少年ではなく前回「まじゅつし編」のラストに出てきた明智小五郎の弟のかっぱキッドとなる。小林少年も少年探偵団も忘れられたみたいに出てこない。
怪人二十面相は10年ほど前から科学者の初名(はつめい)博士に巨大ロボットの開発を依頼していた。だが初名博士は完成した巨大ロボット、ジャイアンとともに逃走しようとした。初名博士を殺害しジャイアンを奪い返した二十面相ではあったが、なぜか自分の命令を聞かない。ジャイアンは脳波を登録した人間の命令しか聞かないように設計されていたのだ。初名博士はジャイアンを二十面相が悪用しないように自分の娘のみどりの脳波を登録していたのだ。ジャイアンが娘のみどりのいうことしか聞かないことを知った二十面相はなんとかみどりを懐柔しようと画策するが…。
江戸川乱歩の少年探偵団シリーズでロボットの出てくる作品といえば「鉄人Q」とか「電人M」がある。ただしどちらも本物のロボットではなく人間が扮しているだけのものではあるが。こういった題材を書いていた江戸川乱歩が当時はやりの巨大ロボットとはいえ、そんなに嫌がったとは思えない。江戸川乱歩自体わりかしSF的な設定好きなはずだし。
どちらかといえば、明智小五郎の弟であるかっぱキッドの存在のほうが問題だったのではないだろうか。なぜ明智小五郎の弟なのに名前がかっぱキッドなのか? なぜ頭に皿がついているのか? 本当にかっぱなのか、それとも人間なのか。実は作中には1ミリたりとも説明がない。 ああ、それなのにそれなのに、なぜ小林少年、少年探偵団そっちのけでいきなり主役を張るのか。いまいち理解できない。江戸川乱歩もさすがに自分のあずかり知らぬキャラクターがいきなり主役張るのは我慢できなかったのかもしれない。
そして第5回目以降の掲載は、『たのしい五年生』1961年4月号から。タイトルはついに「ジャイアン」とだけになる。「怪人二十面相」も「少年探偵団」もどっかいってしまった(汗)。以降タイトル表記は「ジャイアン」で固定化される。
全てのくびきから放たれたように、小林少年も少年探偵団も出てこない。申し訳程度に明智小五郎がチョイ役で出てくるだけ。もはや主人公はかっぱキッドとジャイアンとみどりといっても過言ではない。
その後、怪人二十面相は初名博士に作らせたもう一台のロボットバイキングを繰り出し、巌流島にてジャイアンとの決戦となるが、あえなく打ち破れ基地の電子炉(原子炉じゃないよ)の爆発により海の藻屑となり一巻の終わりとなってしまう。
たのしい五年生1961年8月号からは第3話「ジャイアン」リバイバル軍団の巻が始まる。ジャイアンはロケットエンジンを取り付けられ空を飛べるようになり、突如潜水型戦艦大和が出現し、アトランティス大陸の末裔も出てきて、もうやりたい放題(笑)
ところでリバイバル軍団の巻の扉ページ。潜水型戦艦大和の前で鉛の面を被ってポーズを取るみどりの姿は最高にシュールで良いぞ。
続いて第4話(最終話)「未来編(仮称)」は、1962年1月号~3月号の全3回。
ジャイアンは更に宇宙線ロケットエンジン(宇宙船じゃないよ。多分イオンエンジンのことかな)を搭載し、光速を超えるスピード出せるようになる。かっぱキッドとみどりを乗せて光速を超えるスピードで移動したことによりジャイアンは80年後の2042年の日本に到達してしまう。その80年後の世界は放射能によりすべての人間が奇形化し知能も減退しロボットに支配されていた。ついには明智小五郎もまったく出てこない。このあたりから読み始めた読者は、原作ベースが「少年探偵団」とはとても思いつかないだろうなぁ(汗)。
しかしまあ、さんざんディスったことを書いたけど、店主は結構こういう無茶な話は大好きなのである。60年以上昔の古い作品ではあるが、近年アップルBOXクリエートから「怪人二十面相と少年探偵団ジャイアン」のタイトルで復刻されているので入手は実は楽だ。みんなもぜひ読もう(笑)
ここんとこ古いマンガばかり続いて大変恐縮に思っております。なので次回は町田梅子やります(もっと古いし反省もしてない)!
初出リスト
掲載誌:講談社『たのしい四年生』
第1回:1960年6月号 第1話「まじゅつしと少年探偵団」第1回 原作:江戸川乱歩 11ページ
第2回:1960年7月号 第1話「まじゅつしと少年探偵団」第2回 原作:江戸川乱歩 14ページ
第3回:1960年8月号 第1話「まじゅつしと少年探偵団」第3回 原作:江戸川乱歩 14ページ
第4回:1960年9月号 第1話「まじゅつしと少年探偵団」第4回 原作:江戸川乱歩 12ページ
第5回:1960年10月号 第1話「まじゅつしと少年探偵団」第5回 原作:江戸川乱歩 13ページ
第6回:1960年11月号 第1話「まじゅつしと少年探偵団」第6回 原作:江戸川乱歩 20ページ
第7回:1960年12月号 第2話「怪人二十面相と少年探偵団」第1回 原作:江戸川乱歩 13ページ
第8回:1961年1月号 第2話「怪人二十面相と少年探偵団」第2回 原作:江戸川乱歩 14ページ
第9回:1961年2月号付録 第2話「怪人二十面相と少年探偵団」第3回 原作表記未確認 63ページ
第10回:1961年3月号 第2話「怪人二十面相と少年探偵団ジャイアン」第4回
以降原作表記なし 26ページ
掲載誌:講談社『たのしい五年生』
第11回:1961年4月号 第2話「ジャイアン」第5回 12ページ
第12回:1961年5月号 第2話「ジャイアン」第6回 14ページ
第13回:1961年6月号 第2話「ジャイアン」第7回 13ページ
第14回:1961年7月号 第2話「ジャイアン」第8回 13ページ
第15回:1961年8月号 第3話「ジャイアン リバイバル軍団の巻」 第1回14ページ
第16回:1961年9月号 第3話「ジャイアン リバイバル軍団の巻」 第2回13ページ
第17回:1961年10月号 第3話「ジャイアン」リバイバル軍団の巻」 第3回14ページ
第18回:1961年11月号 第3話「ジャイアン リバイバル軍団の巻」 第4回13ページ
第19回:1961年12月号 第3話「ジャイアン リバイバル軍団の巻」 第5回14ページ
第20回:1962年1月号 第4話「ジャイアン 未来編(仮称)」第1回 13ページ
第21回:1962年2月号 第4話「ジャイアン 未来編(仮称)」第2回 13ページ
第22回:1962年3月号 第4話「ジャイアン 未来編(仮称)」第3回 13ページ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
池袋西武がリニュアルされるそうだ。全面的な改装となるようで、80年代のパルコCM世代にはとにかく寂しい限り。丸ノ内線っ子だったからリブロも西武美術館も通ったよ。前回も書いたように西武池袋、くりくりコーナーはもちろん今は跡形もない。パーテーションに区切られた原画展示スペース、たむろった階段踊り場。何故か無料だった屋上でも開かれていた即売会のあにまん市。何もかも思い出の彼方。さて、前回の続き。そんなアリス編集部の石井さんと(まどろっこしいのでイニシャル制廃止)ご縁ができたわたしは、ガツガツ作品を描いて新創刊されるという同人誌に載せてもらったーかというとそんなことなく、ダラダラと授業中の楽書きをしたりで暮らしていた。白泉社の少女漫画入門を読んで読んで読みまくって、課題をバカほどやったりした割に少しもうまくならない私は、漫画の書き方に完全にブルっていて、オフセットの本にマンガなんてとーんでもなく、敷居が高かったからだ。その割にふくやまじっくブックなどを見て、ミリペンでも絵を書いていいんだ、などいらん知識を身に着けたりしていたのだが。
そんな、怠け者少女に石井さんはアリス用の生原稿を見せてくれたり、参考にと他のロータリーやハンバートなどのロリコン同人誌も見せてくれたり文通をしたり、同人誌をコピーしてもらったりの楽しい交流を行っていた。後々悪い評判も聞いたが、少なくとも知ろうと幼年者には大変親切なお兄さんだった。肩掛けショルダーに大荷物をものともいわず歩いていた石井さんのことは今でもぼんやり思い出す。同世代のるりあ046さんも「石井さんにはよくしてもらいましたよ。インレタとかトーンとか沢山もらった。」と語っていた。
1981年夏に創刊された同人誌アリスvol1が送られてくる。表紙はこの頃多くの同人誌に作品を寄せていたしゅうあいはらさん。漫画も記事もどれもレベルが高く、今見ても石井さんの意気込みが伝わってくる。増刊や2号も作る予定だという。次こそ書きますーなどと返事をして、やっとこさカットなどを書いたりする。横線を描くのが大変だったけれど便箋の原稿も描いた。のちのちアリス創刊号は1982年に沢山でたロリコン特集号雑誌やムックで紹介され概ね好評のようだった。関わっていなくてもちょっと誇らしい。
当時よろず本と呼ばれていた、エッセイとからくがきのコピー同人誌を作っていた学友たちとぱふに載っている大きな即売会にも行ってみたいね、などと相談し始めたのは高校に入ってからだ。秋口に初めて行った川崎市民プラザのイベントはミニコミだったような気がする。お小遣いを握り締め、都心だあと思いながら初めて晴海のコミケに降り立ってのは82年冬。第22回。カタログが冊子になって2回目で、スタイリッシュな千之ナイフ表紙だった。
お小遣い握りしめて買った本は創作少女とロリコン誌。アニメックと花とゆめに載っているさえぐさじゅんの本がある!めるへんめーかーのキャラ本!槇夢民の本かわいい!などなど。訪れるつもりだったアリス編集部はかわいいお風呂というお風呂アンソロジー本を出していて、大混乱で近づけず、カットを描いた本は送ってもらおう!とすごすごと退散した。
当時は全部が回れる規模だったコミケ。当日販売のみだったカタログはもちろん現地でチェックするわけだが、カタログ3ページ目にカットが載っていたあまりに可愛い絵のサークルにいって行列に並んだら、2.3人前で完売した、といわれて行列が解散してしまった。歴史に残る(のか?)メカメカガールズ本、テクノロリア2の販売風景。精根尽き果てた!という感じで座って手足を投げ出す森野うさぎさんの姿はまだ目に焼き付いている。
第四回 「心がない」作画術の罠あるいは獅子神メソッド・和田慎二レッスン
――「漫画の手帖Tokumaru30」掲載分の続きです。
さて……そのような次第でせっせと絵の練習を始めたのですが、ここでちょっと問題なのは、私は「自分の漫画」を描くことがまず第一であって、絵を描くことはその手段に過ぎなかった。漫画を描く人たちが「らくがき」と称する、おいおいどこがそやねん、ちゃんとした絵やないかと言いたくなるような生き生きとして可愛いキャラたちや物語の一場面を描いてみせる気軽さに欠けていたし、ぶっちゃけて言えば、そもそも絵そのものをそんなに愛してはいなかったのです。
これは私の小説家としての姿勢からそうであって、私はいわゆる名文美文というものに興味がなく、ひたすら物語を伝える手段とのみ考えていました。だからといって読みやすく的確な文章になったかというととんでもなく、ひたすらイメージや情報を盛りまくったために、デビュー以降は「読みにくい」「詰めこみすぎ」という非難を浴びせられて、死ぬほど苦しむことになるのですが。
なので私は、いわゆる超絶技巧的な作画には全く興味がなく、感心することもなく、よく「この細かな白抜きの網目模様は、全て黒ペンだけで表現されている!」というような技術に対しても「普通にホワイト使たらええやんけ」と鼻白んでしまうのでした。
そんな私が絵の練習をし、自分の絵柄を獲得するために模索したとしても、そこに何かはっきりした目標や特定作品への愛着があるわけではなく、いろんな漫画絵を混ぜ合わせ、最大公約数的にそれらしいものが描ければいいやという意識の低さだったのです。
あげく私が行き着いたのが、漫画における「絵柄」は小説における「文体」のようなものであり、一つ一つのキャラ絵は文字のようなものだという考えでした。前の回で少し触れた「書き取り」理論をもっと極端にしたものですね。当時の私が熱心になったのは、作画そのものより、そうした方法論だったようです。
たとえば――これはいろんな絵の描き方教本にも載っていると思いますが、キャラの顔を図形の組み合わせと比率で考えてみる。いろいろ見比べた結果、頭部を一つの球体と考え、その赤道部分から下に目を配置し、その間を一個分空けるのが一般的とわかりました。球体の中央を縦に走る子午線上に一定の比率で口を配置し、言い忘れましたが下部には顎をくっつける――という感じにまとめてみたのです。
それらの比率を、完全に手になじむまで覚えてしまえば、あとは肉付けし、目鼻のパーツをくっつけるだけでいいというわけです。
パーツに関しては、描き順理論というのを考えました。たとえば、これはネットで見つけたのですが、ある漫画家さんが自分の目の描き方を披露しておられました。
瞳とか目のぐるりとか、まつげとかいった部分を一定の順序で描き足してゆくと、みるみるチャーミングなキャラの目が出来上がっていく。そのようすが、決められた書き順通りに筆画を足していけば、どんな難しい漢字でも書けてしまうのと同じに感じられて、こういう「描き順」を覚え、機械的に繰り返しさえすれば、それらしく仕上がるのではないかと考えたわけです。
今思えば、まさにその「それらしく」という点に志の低さがあらわになっており、そこがそもそもまちがっていたわけですが……。
ともあれ、とりあえずはこの方面での反復訓練を続けてみることにしました。どうやらそれらが身についたところで、その肉付けに取りかかったわけなのですが……はい、その後どうなったかはだいたい予測がつきますね。
そう……そのようにして描かれ、生み出された女の子は、ちっとも可愛くなかったのです!
それは一応、以前に比べれば自分の「絵柄」と言ってもいいものでしたが、全然愛着もわかなければ、好きにもなれない。自分の絵柄らしきものは、前の段階よりはできていたはずなのですが、自分のものであるという気がまるでしなかったのです。
――古い漫画やテレビドラマのファンなら、おなじみの展開かもしれませんね。不器用ながらひたすら奮闘努力した主人公の作品(大工仕事とか焼き物とか、あるいは料理とか)と、彼のライバルが最新の技術を駆使し、見た目完璧に作られたライバルのそれが勝負することになる。ライバルってのは、だいたいがキザで威張ったインテリ風と決まっています。
さて、どうなるか? 劇中の誰もが主人公の負けを予感したとき、長老だか大先生といった感じの審判役が、意外にも(そして予定調和的に)主人公の勝利を宣言します。
「なぜだっ! 私の作品の方が、形がきれいで傷も歪みもなく、全てにおいて優れている。なぜこんな若造が作った出来損ないに負けなければならないんだ?」
すると大先生は、おごそかにこう答えるのです。
「お前の作ったものには心がない!」
と。子供心にも納得できない気がしましたが、私はまさにそのライバルの方でした。私の作画術というか上達方法には「心がなかった」のです。
かくしてダイソーで五冊まとめて買ったノートは、大いなる挫折とともに尽き、こりずに続きを買おうとしたら、何とB5判六十枚の無線ノートってどこにも売ってないんですね。ずっと薄いのしかない。会員登録しないと在庫確認できないダイソーのサイトでも(以前のとは違う大学ノート風のが)売り切れとなっている。腹が立ったのですぐ退会しました。
さんざん探したあげく、某オークションに出ているのを見つけて箱買いし、私のお絵描き修業は心を見つけられないまま(まるで鉄腕アトムの「アルプスの決闘の巻」のように)続いていくのでした。
いいかげんフルデジタルに切り替えろって話ですが、このままではデジタルペンと液晶タブレットにしたところで、どうせ元の木阿弥なのはわかりきっていたのでした。
そして、新しいノートに切り替わって三冊目、けっこう消費ペースは上がったもの、ますます迷路に入りこむばかり。
ツイッター上でとうとう「いろんな人の気に入ったキャラを参考に描いていけば、そのうち文章で言えば『文体』に当たる『絵柄』ができると考えてやってきたんですが、まぁどれも可愛くないことw」と音をあげ、「あまり考えずに、サラッと女の子の顔を描いてはみたんですが、まるで気に入らないし、この娘を描いていける気もしない。ここらあたりが今の行き詰まり点ですかね」と打ち明けた私に、こんなアドバイスがあったのです。
ううむ……相当お悩みですね。抜け出せない迷宮にはまり込んだような……さて私のアドバイスが役に立つのかどうか。
芦辺さんはお好きな漫画家・イラストレーターさんがたくさんいますよね。以前から模写ノートには多くの作家さんの絵を模写しておられましたが。ここは一人だけに絞りませんか?
ただし、その一人だけの模写相手は「単純な絵」の人。今流行の描き方ではなく、むしろ古典的なシンプルな線で描いて無駄な線は一切描かない人。目も黒目に白い点だけ。そういう絵柄で芦辺さんが「めっちゃ好き!」な作家さんの絵をとことん模写してみてはどうでしょう。
このアドバイスが適切かは分かりませんがここは思い切ってやってみても良いかも知れません。
すんませんこの程度しか言いようがないです。
それは、前回・前々回からご登場願った獅子神タロー氏(商業漫画家としての別ペンネーム・井川コーイチ)によるもので、これには何だかいろいろと見透かされた気がしました。
そうなんですよ。プロアマを問わず漫画を描く人なら必ずやる、あこがれの作家の作品を模写するということを私はやってこなかった。手っ取り早く自分の絵柄をつかみ取ろうとして、小説の文体のときと同じように特定のお手本を定めず、不特定多数の絵を組み合わせ適当にシャッフルすることで目的をかなえようとしたのです。
しかし、ことここに至ってはもうそんなゴマカシ的手段は取っていられない。模写対象を絞り込むことで、色々とバレてしまうことがあるとも考えられましたが、もはやそんなことも言っていられない。
そして私が選んだのは……いくつか図版を送りますので、ご覧になれば一目瞭然と思いますが、それは獅子神さんばかりか、私自身にも意外な――自分は本当は何が好きだったのか、わが「心」の内をわからされる結果となりました。
獅子神さんのアドバイスからわずか二日後、二〇二三年五月十九日――なんて日付を記すにこともありませんが、ここに私の漫画に至るとは限らない道は「獅子神メソッド・和田慎二レッスン」という新たな局面に突入し、それは今も続いているのです。
ということは……次回はもう書くべき新しいこと、なくなっちゃったな。まぁきっと何とかなることでしょう。