■昨年末、師走の気分を高めるべく、中津や大分の映画館でアニメ作品をハシゴ、並行してアマゾンプレミアムでサンライズの81年作品『太陽の牙ダグラム』をイッキ観、その後もネトフリやアマプラを駆使して、見ないままになっていた映画作品などサクっと見ます。
新年になってから、昨年末に観た劇場用アニメ作品について「B録」向け文章にまとめて書きますが、その過程で、日本のアニメ業界このままで大丈夫かという気分となり、もうちょっと調べてみたい欲求が高まりました。
考えてみれば、ネトフリやアマプラを駆使すれば、やはり今まで見逃していた作品を容易く見ることが出来そうです。ということで、「B録」の原稿完成後、調査にかかりました。今回はそんな話など。
■昨年末に観た劇場用アニメ作品の中で、良くも悪しくも気になったのが、ジブリの流れをくむスタジオポノックの『屋根裏のラジャー』です。B録の方でもやや厳しい意見を書きましたが、何というか、ジブリ作品をこじんまりまとめた物足りない作品という印象を得ました。
それで、ウィキペディア等でスタジオポノックについて調べてみます。元ジブリの西村義明プロデューサ―が、『借りぐらしのアリエッティ』や『思い出のマーニー』の米林宏昌監督の新作映画を作るために15年に設立したとのこと。
ポノックの長編映画第一作が17年公開の米林監督作品『メアリと魔女の花』で、これはアマプラで見てみました。
事前に見ていたネット上での評価ではかなり酷なものが散見されましたが、私的にはそこそこ楽しめました。但し、可もなく不可もなくな印象も大きい。
誤解を恐れずに言えば、ジブリ作品、特に宮崎作品は難解であり、それをハッタリで押し切って何か感動作のように見せてしまう魔法がかかっています。
この作品はジブリの威光に頼っているところがあり、それがために期待値は上がりつつ、監督のハッタリは弱い。
そうなると見る目は厳しくなり、期待値に及ばずそれはガッカリ感となる。魔女と言いつつ魔法がかかっていない、そういうスカを引いた作品かも。
18年、ポノックから短編3本のアンソロジー『ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』が劇場公開されます。米林監督の『カニーニとカニーノ』、百瀬義行監督の『サムライエッグ』、山下明彦監督の『透明人間』の3篇。これはネトフリで視聴してみました。個々の作品に関する詳述は避けますが、まあ面白かった。これからのアニメ界を引っ張るであろう若手監督に発表の場を与えた試みだと思います。その志はくむものの、期待した程の話題にもなっていなかったように感じます。
そうして満を持して制作された作品『屋根裏のラジャー』は、『サムライエッグ』の百瀬監督作品。当初の公開予定から一年半ほど遅れて昨年末の公開となります。
多分、ポノックの方々も興行的には大きな期待をかけていたはずですが、残念ながら広告の多さに比べ観客動員数はイマイチ。
ポノックはそう簡単に潰れるとも思いませんが、このままだと先行きちょっと危うい。まずはジブリの威光に頼るのをやめて、変に上がってしまっている期待値を下げるのが一番優先かもしれません。
■ポノックと違った経緯ながら、ジブリの流れをくむ制作会社である『STUDIO4℃』もまた気になる存在でした。
それまで漠然と、五十嵐大介のマンガ作品を原作とした劇場用アニメ作品『怪獣の子供』を制作したところということは何となく知っていました。そして、ちょっと調べたところ、キングコング西野が作成した絵本を原作にした『えんとつ町のプペル』や、西加奈子の小説が原作で明石家さんまがプロデューサを務めた『漁港の肉子ちゃん』も4℃のものでした。
4℃は、ジブリでプロデューサを務めた田中栄子とアニメーター森本晃司を中心に1988年に映像制作集団として発足、93年にいったん解散し、その後は制作会社として今に至っているようです。
▲埼玉県側から提示された水着撮影会のルールを示すイラスト
これ描いた人メチャ上手い。ちゃんとした作品を見たい
その基本姿勢は、「王道はジブリがやる。私たちは側道を埋める」といったもので、新しい才能を尊重する気風もあり、その中から片淵須直が2001年『アリーテ姫』で、湯浅政明が2004年に『マインド・ゲーム』で長編アニメ映画監督デビューを果たしています。
4℃の作品は、『スプリガン』のようにそれと気づかずに見ている作品がいくつかありましたが、今回いい機会だと思い、大友克洋が製作総指揮と総監督を務めた95年公開のオムニバス作品『MEMORIES』、松本大洋原作の06年作品『鉄コン筋クリート』、伊藤計劃の長編SFを原作にした15年作品『ハーモニー』、そして19年の『怪獣の子供』に20年の『えんとつ町のプペル』をアマプラやネトフリで観てみました。
なるほど、「側道を埋める」というのはわかる気がしました。多分そのお陰でトラックやバスだけでなく、小回りの利くバイクやロードバイクや電動キックボードがその特性を活かして走れるようになっているかもです。
ただまあ、『ハーモニー』は昨年夏頃にAudibleで原作の朗読を聴いていましたが、こういう頭でっかちで小難しい中二病作品に手を出しちゃうかな…その姿勢に危うさを感じます。
そして『海獣の子供』。映像がこれでもかというくらいに美しく、制作に多くの工数がつぎ込まれた大作なのだろうことはわかるものの、後半はあまりに説明不足で意味不明で残念でした。原作はもう少し説明があるらしいのですが…まあ、「考えるな、感じろ」といったところなのかもですけども…このテの作品が陥りがちな独りよがりの誹りを免れません。
それは全国164スクリーンで公開ながら興行収入4億5千万という結果となってあらわれます。ちなみに、同年公開の「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」が全国31スクリーンで5億一千万となっています。
恐らくべらぼうに膨れ上がったであろう制作費を調べてみましたが、それはわかりませんでした。ただ、その調査の過程で、4℃の社員が裁量労働制の誤った運用による未払い残業代の支払いを求めて4℃を提訴していたことがわかりました(解決済み)。うーん、若い才能を活かすための「側道を埋める」試みは、若いアニメーターへのやりがい搾取でまかなわれていたということなのでしょうか? ちなみに、4℃だけでなくトリガーやマッドハウスも同様の訴訟が行われていた模様(こちらも解決済み)。
『海獣の子供』の失敗?に懲りてか、4℃はそれまでの路線からして商業主義へ擦り寄ったとの誹りを免れない『プペル』と『肉子ちゃん』といった作品を手掛けることになります。
正直私はいかにもやり手なキングコング西野は好きではなく、『プペル』の評価についても、ネットに流れるワンピースやラピュタからのパクリ疑惑を読んで「やっぱその程度か、映画館で観る価値なし」と思い観ていませんでした。今回、ネトフリで観られることを知らねば、やはり観ることも無かったと思います。
でまあ観てみましたが、思った程には悪くない。パクリ疑惑の評判も、アンチ西野の視線のため少々強引な解釈ではないかとも思えます。少なくとも、前半のトロッコのシーンの動きのよさなどは評価されてしかるべきかと思いました。作品全体から滲み出る感動の押し付けがましさはやっぱり違和感を拭えませんでしたが。
明石家さんまがプロデューサを務めた『肉子ちゃん』は、声の出演に吉本の芸人を登用したり、トトロなどジブリ作品のオマージュを盛り込んだりとサービス満点ながら、その売らんがなに見える姿勢がかえってアニメファンから敬遠されてかあまり評価されておらず、というか殆んど無視され、そこからちょっと外れたところにいる伊集院光から高評価を受けるなどしていました。
はい、伊集院さんの姿勢を支持。西加奈子の原作が良かったせいもあるかもしれませんが、「考えるな、感じろ」みたいに観客に責任性を投げてしまうのではなく、しっかりしたオチを提供する豊かな物語を賞味した気分にさせてくれました。
考えてみれば、『プペル』や『肉子ちゃん』のようにアニメファンが敬遠しそうな作品を手掛けることも、ある意味で「側道を埋める」ことになるかもしれません。そして、4℃が今後どういう路線でいくのかはわかりませんが、少なくとも、かつて4℃を通ってきたクリエイターたちがどのように歩みを続けているか、そこは注目していきたいと思います。
4℃限定ではありませんが、文化庁からの委託で行われる若手アニメーター育成プロジェクト『アニメミライ』やら『あにめたまご』やら『あにめのたね』やらにノミネートされた若手アニメーターの作品なども追っていきたいです。今回は間に合いませんでしたが、近い機会に。
■さて、ここからは、今回の調査の中で本当に面白いと思ってお勧めしたいと思った作品を紹介します。ネトフリなどで数年前から紹介されている作品なかりで今更かよと言われそうですが、まあそこらはご容赦。
まず紹介したいのは、22年10月からネトフリで配信された作品『ロマンティック・キラー』。ウェブコミック配信サイト『少年ジャンプ+』(集英社)にて、19年7月から20年6月まで連載された百世渡によるマンガ作品を原作とする全12話からなる、青春ラブコメ少女マンガのパロディとなるギャグ作品です。監督は市川量也。
ゲーム、チョコ、飼い猫という三大欲求?を楽しみながら暮らす、恋愛とは縁遠い「非ヒロイン属性」の女子高生・星野杏子のもとに魔法使いのリリが現れ、強制的にイケメンたちとのラブコメ的ロマンティック展開の生活が課せられる。ゲームやチョコ、猫を取り上げたれた杏子はそれに反発しロマンティック・キラーとしてリリの目論見を失敗させようとするが、ラブコメの表層をなぞるようなアクシデントに次々と見舞われ…みたいな話。「十兵衛ちゃん」や「神様はじめました」などの監督・大地丙太郎の作品に見られるような、元気な女子がアホな状況にさらされてドタバタジタバタする展開の作品と思ってもらえばいいかもしれません。主人公の杏子はサバけた性格で好感度高し。正直、面白くてイッキに観ました。こういう作品を観たかったのですよ。
■次に紹介するのは、『アグレッシブ烈子』。サンリオで2015年に開発されたキャラで、レッサーパンダのOL・烈子が、上司や同僚の理不尽な行いに不満や怒りを感じつつ、そのため込んだ鬱憤をお1人様カラオケでのデスメタル歌唱で晴らすというもの。16年よりTBSテレビ「王様のブランチ」内のコーナーで5分程度のアニメが放送され始めます。
地上波テレビの放送が終わった18年より、世界観はそのままで、一話15分の10話の作品がネトフリのオリジナルアニメとして配信され始めます。
テレビ版のようにエピソードが一話ごと完結するのではなく毎回の話が繋がっていき、そして第二期。第三期と期が進んでいくうちに話が大きくなっていきます。例えばシーズン2では烈子はIT企業を運営する天才の只野と恋愛関係になります。シーズン3では地下アイドルとなってデスメタルを披露し、シーズン4では新社長による同僚や上司へのリストラに仲間と共に抗し、新社長側にとりこまれた恋人のハイ田と対峙、そして最後のシーズン5では国会議員に立候補するところまでいきます。もうシーズン5まで飽きることなくイッキに観ました。期がアップするごとにしっかり話が盛り上がり、最終回まで見事に駆け抜けてくれました。観終わった後、正直ロスに陥りました。よもや還暦過ぎの私がサンリオキャラにロス状態にさせられようとは。
実はこの作品、『Aggretsuko』のタイトルで海外にも配信されており、烈子と同じように職場でストレスをためる女性に共感されたり、『ベイビーメタル』のように若い女子がヘビメタを演奏するという日本のイメージに乗っかったりで、日本以上のかなりの人気作品となっているようです。烈子をネットで検索すると、英語をはじめとする色々な言語によるaggretsukoの動画があらわれ、飽きることがありません。
日本のオタクの少なからずは日本のマンガやアニメが世界を席巻しているものと思い込んでいるようですが、多分このアニメが海外で大人気であることは知りません。まあ私もつい先日知ったばかりなのであまり大きな口はきけませんが、世界で愛される日本のマンガやアニメは萌え美少女モノや残酷描写のあるものばっかりではないことも把握しておいた方がよさそうです。
■ここからは外国発のアニメ作品の話になります。
アメコミ関係の仕事をなさっている内藤真代(Mayo "SEN" Naito)さんのポストには色々と教えてもらうことが多いのですが、これはその教えられた中の一つ、ネトフリ配信のオリジナルアニメ『ヴォクス・マキナの伝説』です。
それぞれ過酷な過去を持つ落ちこぼれの傭兵団ヴォクス・マキナ、彼ら彼女らは金を稼ぐために、王都を脅かす邪悪な存在を退治する傭兵募集の貼り紙に応募すべく城に赴きます。王の気まぐれで採用された彼ら彼女らは、邪悪な存在の正体がドラゴンであることをつきとめ、苦心惨憺の末に何とかそのうちの一匹を倒しますが、ドラゴンもまた一団を作って王都を襲い…といった話で、まあそれだけ聞くとどこにでもある凡庸な剣と魔法の英雄譚と思われるかもですが、この作品を取り上げようと思ったのは、これが成人向けのアダルトアニメーションだということ。一話目の冒頭から傭兵団がかなりグロめな描写で殺されたり、性的描写を隠さなかったり、お下品なセリフのやり取りがあったりと、まあカマトトぶることなくあっけらかんとしており、実にオトナ。シリアスなところなど締めるところは締めており、お下品さはいいアクセントになっている感じです。
日本のオタクの中には「アメリカのマンガやアニメはポリコレによって面白くなくなり衰退した」といった俗説を信じる人が少なからずいますが、この作品を見る限り全然衰退などしていないですね。
「いやその作品はポリコレを無視しているからだ」といった反論が聞かれそうですが、未成年を性的対象とする描写はなく、LGBTQが当たり前に表現されています。グロ表現はポリコレとはあまり関係ないし、一応18禁指定され形式上のゾーニングはされています。これつまり、ポリコレ配慮がされていて十分面白い作品が提供されているということです。
この作品は、『Critical Role』というプロの声優グループが、テーブルトークRPGの『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を実況する悪ふざけから派生して生まれたような経緯があり、当初のアニメ化の費用はクラウドファンディングでまかなわれたようです。今回は詳細は述べられませんが、ここらの話もまた別の機会に出来たらと思います。
■続いて、これも内藤真代さんのツイートに教えられたものですが、アマプラのオリジナルアニメである『ハズビンホテルへようこそ』を紹介します。
ヴィヴィアン・メラドーラという92年生まれのエルサルバドル系アメリカ人のアニメーターによるインディーの大人向けコメディアニメ。パイロット版が19年に発表され、24年1月からアマプラで日本語吹き替え版が配信され始めています。
死んで悪魔になった罪人であふれかえる地獄は人口過密になり、年に一度天使たちが人口を減らすべく悪魔を殺戮していた。これに心を痛める、ルシファーの娘で地獄の王女であるチャーリーは、地獄の環境改善のために更生施設として「ハズビンホテル」を仲間たちの協力のもと運営し、更には天使たちによる悪魔の殺戮も食い止めようと奮闘する…と。
死んで地獄に堕ちるような罪人ばかりですから、まあ地獄の状態は混沌としてロクなものではありません、『ヴォクス・マキナの伝説』に輪をかけてアダルト、というか下ネタや暴力表現がハンパありません。かなりハチャメチャです。
そのハチャメチャぶりをまた「ポリコレを無視した作品だから表現の自由が活かされている」みたいに評価をする人が散見されます。しかし、主人公のチャーリーはバイセクシャルで、親友の堕天使ヴァギーとは恋人でもありベッドを共にしています。ホテルの入居者でセクシー俳優であるエンジェル・ダストの性的指向はゲイです。ポリコレ無視というよりはむしろ「ポリコレで攻めている」と言っていいくらいです。ちなみに、作者のメラドーラがそもそもバイセクシャルらしいです。
反ポリコレの方々は、自分が嫌う道徳的に潔癖なものを強要するPTAの山の手ヒステリーおばさんのイメージをすべてポリコレにおっかぶせるところがありますが、まあそれは違うんだよと。
この作品の最初に、主人公チャーリーの両親ルシファーとリリスの物語が語られます。もともと高位の天使だったルシファーは自由を愛していました。最初の人間であるアダムとリリスは当初は対等でしたがやがてアダムが支配を望み、リリスは自由を求めて逃げます。そんなリリスにルシファーは惹かれ、二人は恋に落ちます。二人は自由に生きる魔法を人間に教えるべく知識の実をイブに与えますが、その実には呪いがかかっており、そのせいで悪が地球に入り込むことになります。その罰として二人は残虐と邪悪の世界に落され、ルシファーは絶望しますが、リリスは希望を持ち、その希望を受け継いだのがチャーリーであると。
実はこれ、統一協会の聖書解釈と似ているところがあります。サタン=ルシフェルはエヴァを騙して姦淫し、そこから人類は原罪を背負うことになったと。だから女性は汚れて劣った存在であり男性は優れているとなりますが、『ハズビン』ではリリスが自分の意志で自由を求め抑圧的なアダムの支配から逃れようとしており、いわば人類最初のフェミニストと言えそうです。また、自分の生き方は自分で決めるという意味で実存主義的とも言えるかも。統一協会と設定が似ている風ですが、実際は真逆のベクトルの解釈であり、作品の根底にはこの考え方が流れています。ルシファーは自由の希求者であり、人類最初の男性アダムは地獄の住人の殺戮への先兵としていけ好かない存在として描かれています。統一協会の信者が見たら、真っ先に表現規制しに来そうです。まあそんな作品だと思って下さい。
■同じくヴィヴィアン・メラドーラの作品で『ハズビン』と世界観を同じくする作品として『ヘルヴァ・ボス』があり、こちらもお勧め。というか、むしろこっちの方がお勧めです。
ちょっと初めのうち世界観を把握するまでは分かりにくいのですが、道化師のような姿をした「インプ」と呼ばれる種族の悪魔ブリッツが人間の暗殺を行う企業を立ち上げ、社員のモクシーやミリー、養子のルナや貴族のストイラスらと、まあドタバタを繰り広げると。この作品も、ブリッツとストイラスが肉体関係にあるなど「ポリコレで攻めて」います。そして「悪魔のいけにえ」的に猟奇殺人を行う姉弟の子供は出てきても、子供は決して性的対象としては描かれない、まさにこれぞポリコレです。
こちらは有志によって日本語字幕をつけられたものがYoutubeで見られます。
■他にもネトフリで観たアニメ作品など紹介したかったのですが、ページの都合で軽く流します。
とりあえず、ネトフリで見られる中国製の作品『紅き大魚の伝説』は紹介しておきたいです。ネットに公開された自主制作の短編が発端となり12年の歳月を経て16年に公開された、いかにも中国製らしい大作。観て損はありません。
日中合作のオムニバス『詩季織々』もお勧め。文革以後、改革開放の波に乗ってだんだん生活が向上する幸せな時代に青春時代を過ごした中国人の記憶を綴ったような作品が並びます。
■今年のアカデミー賞長編アニメ映画賞は宮崎駿の『君たちはどう生きるか』が受賞しましたが、他のノミネート作品の『マイ・エレメント』も『ニモーナ』も悪くありませんでした。後者はネトフリで観られます。
スペイン・フランスの合作作品『ロボット・ドリームズ』は、EW&Fの『センプテンバー』に合わせてロボットと犬が踊るYoutubeでの予告編しか見ていませんが、これがなかなか好印象。これもいつかちゃんと観てみたいです。
■この1月、H&Mの女子児童を使った広告が、「ルッキズムを助長する」と抗議を受けて中止になりますが、これが「児童を性的に表現している」とフェミニストからイチャモンをつけられたと勘違いした日本のオタクが騒ぎ、あるマンガ家があてこすり的に自分の少女のキャラクターを使った挑発的なイラストを描いてネットに流し、これが炎上、このマンガ家の作品の掲載誌である『LO』の編集部から正式コメントが出され、このマンガ家さんはXのアカウントが凍結されます。
また例によってネットでは「フィクションだから被害者はいない」とか「パロディであり風刺だ」とかいった擁護が聞かれましたが、『LO』がギリギリのところで世間と渡り合っているところで世間を挑発するようなことやっちゃダメでしょ。わざわざ規制してくれと言わんばかりのことをやってどうすんの。
昨年の話ですが、埼玉県の市民公園内のプールでの撮影会で中学生の女子がモデルとして登場予定だったとかで問題が大きくなります。これに対して「基準がはっきりしないじゃないか、またお気持ちか」みたいに挑発的に擁護する者が少なからずいましたが、見事にこの3月、埼玉県側から線引きするルールが提示されてしまいました。これに対し某政党の地方議員に文句を言うのが散見されましたが、いやいや、一野党議員にそんな権限はないし、キミらが招いたことで自業自得だよ。文句言うなら埼玉県側に言わなきゃ。
昨年、ライブ中に胸を触られたと騒動になった韓国のDJ SODAさんに対し、騒動を茶化すようなAVが作られたりもしていますが、もうこういう「風刺」という言い訳のハラスメントで挑発するのもいい加減にしましょうよ。本当にあんたらタダの反社会勢力ですよ。
■週刊漫画TIMESに連載中の『解体屋ゲン』というマンガ作品について褒める方向でお話したいところでしたが、これはまた次の機会に。
■追記 Netflixで中国発のハードSFを原作としたドラマ『三体』の配信が3月21日より開始。現段階で全部観ましたが…原作改変がかなりあって、うーん…
第二回 ダイソーのノートと潜水艦道少女
――「漫画の手帖Tokumaru29」掲載分の続きです。
まず最初にお詫びしておかなければならないのは、前回掲載していただいた図版に写真説明を添えるのを忘れ、適当に名前をつけたままの画像ファイルを送ってしまったことです。たとえば「東條希by野間美由紀さん+添削調整」というのは、〝私と同じイラストをもとに野間美由紀さんが希先輩を描き、さらに細部を示した図をスキャンしてトリミングしたもの〟という意味なのですが、まぁ説明しなくてもわかりますよね。以後は気をつけます。
さて、アニメ化前々々夜ぐらいの「ラブライブ!」合同誌への参加で、泥縄式に始めたお絵描きでしたが、そのあと、そううまくは続かなかったのは、自分の描きたいものが漫画ともイラストともはっきりしておらず、ただ何となく可愛い子ちゃん(死語)が描けるようになれればいいぐらいのつもりだったモチベーションのはっきりしなさに加えて、板タブなるもののしんどさが大きかったようでした。
板タブで描いた東條希
自ら漫画を描かれる方が大半な、本誌関係者のみなさんには釈迦に説法でしょうが、ただでさえ絵を描き慣れない人間が目はモニター画面を見つめ、手探りでタブレットペンを走らせるというのはなかなかの難行でした。それでも何とか慣れようとがんばったのですが、目に負担はかかるし何より肩が凝ってしまって、一点描き終えるともうガッシガシ。
唯一つ学べたのは、輪郭に目と口の位置を決めただけの、まるでバケモノのような顔(デジタルだととりわけそう見えてしまうのです)に絶望しても、やがてそこから人間らしい表情ができてくると知れたことぐらいでしょうか。
そのころの成果を添えておきますが、珍しいのは文学少女「葦部たく」なるキャラで、これは診断メーカーか何かで「あなたを演じる声優は?」みたいな企画があって、「ashibetaku役に声を当てるのは『茅原実里』です」という答えが出たのだったかな。
そこで、これは芦辺拓ではなく葦部たくという女の子キャラで、キャラクターデザインは「ラブライブ!」を手がけておられた西田亜沙子先生にお願いします、と冗談でツイートしたら、何ととびきりかわいい女の子を描いてくださった。
それを同人誌やアイコンにそのまま使うわけにはいかないので、自分で模写したのですが、オリジナルはこの二億倍可愛いこと、その後彼女は「夏色えがおで1、2、Jump!」のPVにちらりと登場したことを付け加えておきます。
そんなこんなで上手くなろうと奮闘したのですが、いま思うとこれがかえっていけなかった。描くことそのものの楽しさではなく、上達目的に振り切ってしまうと、これはちっとも楽しくなくなってしまう。
でも、ずっとあきらめていた自分で絵を描くということ、この手の中から美少女キャラ(やっぱりそれかい)を生み出せるかもしれないと思えるようになったことは、きっかけとして大きかったようです。でもとりあえずはもっぱら文章を書く方に戻っていたのですが、また新たなきっかけがやってきたのです。
ときは二〇一二年五月五日――ギエッ、もうすぐ十二年前になってしまうのかよ、とびっくりしますが、この日開かれた「コミティア100」がこの最も偏愛するイベントへの初参加となりました。それまでコミケは(何と遅ればせにも四十代になってから)何度か足を運んでいたものの、それほど愛着を持つには至らなかったのですが、たまたまツイッターで知り合った方々が多数参加しておられるということで足を運んでみたコミティアは、もう何ともはや気に入ってしまいました。
一巡見て回るのに、ちょうどいっぱいいっぱいな(何だそりゃ)規模といい、バラけすぎないバラエティの豊かさといい、ズボラな私にはありがたいものでしたが、何といっても創作主体であるということがうれしかったのです。
各ブースで表紙を飾り、ポスターやタペストリーに掲げられたキャラクターたちが、みんなそれぞれの作者に生み出されたものであり、しかもプロにありがちな超絶技巧を誇るのではなく、それぞれの描きたいものを描ける絵で描いておられることに強烈に共感できたのです。
小説ももちろんそうだけど、漫画もまたこんな風に自由に描いていいんだ。上手くなるための練習のプロセスとしてではなく……というのが、何だかとても心に響いたのです。このときいったんは引っこめていた願望がはっきり復活したのかどうか分かりませんが、契機となったことはまちがいないでしょう。
ダイソーノートお絵描き第一号
この年のおそらくは終わりごろ、私はダイソーで五冊セットのB5判無線ノートを買いこみました。一冊六十枚という厚めのやつで、その一ページ目に、今となってはどこから模写したのかわからない女の子の絵を描きました。どうやら、しばらくぶりにやる気になったようで、やはり先のを含め三連続で参加したコミティアが刺激になったのでしょうか。
2012 12/1 6:00AMと添え書きされていることから、それが私のお絵描き修業リスタートの日付であることがわかります。ところが、いま久しぶりに本棚からノートを抜いてみて気づいたのですが、何と一ページ目と二ページ目の間には五か月以上の時間差があるではありませんか。
いきなり投げ出しとるやないか! とわれながら呆れた次第ですが、2013 5/24 1:38以降はけっこうコンスタントに描いている。何でだろうと思ったら、二〇一三年八月十八日のコミティア105で「コミティア漫研」というグループを知り、六日後にはJR中野駅近くの廃小学校の教室で開かれたそこの初会合に顔出ししています。
どうやらそれが転機であったらしく、ではコミティア漫研(現在は「まんけん」と改称されています)とはどんな会であったかといえば、「部長」の愛称で知られたM氏のツイートによれば、
いつも一人で描いている方、久しぶりに「部活動」の雰囲気の中マンガを描いてみませんか。同じ目的の仲間がいるとモチベーションも違ってきますよ。詳細は「コミティア漫研コミュ」で検索!
おはようございます。明日土曜日もコミティア漫研コミュ開催いたします。中野マンガ・アートコート2Fイベントスペースで行います。どうぞお気軽におこしくださいませ。1回めは無料で見学していただけます。2月までの期間で短編マンガを部員のみんなと一緒に作りませんか
2012年12月に始まるお絵描きノート
――という感じで、何か集まってワイワイやりつつ(最初はキャラ講座みたいなのがありましたが)、めいめい八ページ漫画を完成させて合同誌を作ろうという目的でした。こうしてダイソーの無線ノートはそれに向けての練習帳となっていったのですが、この間にいったい何があったのか。
何が私をそうさせたのか? そこにはそうなるだけの理由というか、大いなる出会いがあったのでありました……。
前回も少し記した「女の子集団による冒険活劇を書きたい」という願望の一環で、私は「ガールズ&パンツアー」を放送中断期間に知り、最終二話にだけ間に合うという、ちょっと遅れたファンになっていました。その関係で、二次創作には気が乗らない私には珍しく、ピクシブのガルパンタグを見ていたのですが、そこで出会ったのが、獅子神タロー氏の
「ガールズ&サブマリン 対駆逐艦戦です」
――だったのです。わざわざ改行するほどのこともない? いや、あるのです。
続いて「決勝戦です」、そしてオリジナルキャラにバトンタッチして「蒼きデッドライン」と続く、戦車道ならぬ潜水艦道にかける少女たちの物語と、同氏のその他の作品は若きラブライ部員の人たちから与えられ、でもいったんは熾火のように隠れた漫画描きたい熱を復活させるに十分でした。
そう、イラストではなく、はっきりと漫画に目的が定まったのです。獅子神氏のしゃれたパロディセンスに、あとで四コマをずっと連載していたと聞いて納得の物語の構成力、そして何より絵からあふれる何とも言えない愛嬌と懐かしさ――まさに「これぞ漫画」という魅力のなせるわざでした。
これは絶対同世代だと直感してツイッターから感想を送ったのが二〇一三年三月二十八日(twilogって便利ですね)。思えば長い付き合いですが、ともあれここに今年三月現在でノート九冊にわたる苦闘と進歩なき日々が始まったのでした……。