ロリコンマンガの帝王・内山亜紀
その時、内山亜紀は事件でした。その時とは内山氏の初単行本『愛しの妖精』が発売された一九八〇年(昭和五十五年)十二月のことです。
『愛しの妖精』に描かれたマンガは従来の、劇画から派生したエロマンガとは明らかに異なる、少年向けマンガ雑誌に登場するポップで明るい絵柄とハードなエロ内容に私は仰天した事実を私はよく覚えています。
実は私は「いつかは誰かが出す〈ヤル〉んじゃないか」「誰がヤッてくれるんだろう?」「それはいつなんだろう?」とは考えていましたが、私が想像していた以上の『気ままな妖精』の内容と迫力に(私だけではなく)見た者は圧倒され、その衝撃は業界に大きな波紋をひろげてゆくことになるのです。
内山氏が描く作品の特徴は何と言っても登場する女の子の魅力に尽きます。氏の描く女の子はともかく可愛く、犯される魅力に満ち溢れています。ひと昔ふた昔、いや死語かもしれない表現を使うのを許していただければ〝凶悪に可愛い〈キョーアクにカワイイ〉〟、つまり内山氏が描くマンガにおいては、女の子が犯されるため、あるいはオトコを惑わせ、狂わせるために〝だけ〟登場し、愛嬌と魅力を撒き散らします。それは見る(=読む)者を虜〈トリコ〉にせずにはおかない、魔性めいた、暴力的なまでの磁気を帯び、はなっていました。
今までこの『漫画の手帖』に掲載していただいた拙文を読んでくださった方は、私にあまりそっちの方の気〈ケ〉、つまり少女嗜好(ロリータコンプレックス、略して「ロリコン」)の気質があまりないことにお気づきだと思います。(……そうでないのかもしれませんが、そういうことにしておいといてください) その私をして内山氏の単行本が発売されれば、一も二もなく買い求めたものでした。
凄まじい人気を博し、版を重ねる氏の単行本の売り上げ実績はついに新たな雑誌、新たな分野を切り開き、新たな読者を獲得するための雑誌を創刊させます。その雑誌が『レモンピープル』でした。一九八二年(昭和五十七年)初頭に刊行されたこの雑誌は内山氏のマンガ、ロリコンマンガを読むために、ひいてはロリコンマンガを読む人間、ロリコンのために刊行された雑誌でした。しかし、この創刊号は内山氏ともう一人ロリコンマンガの巨頭として名前を馳せていた吾妻ひでお氏の二人が同じ雑誌に描く雑誌でしたが、内容的には他の執筆陣が従来のエロマンガ家たちで充分なモノとは言えませんでした。私的には同人誌界から引っ張ってきたのであろうマンガ家たちが多数執筆を開始する2号が本当の創刊号であるように感じられます。
ほぼ同年代の同じような嗜好趣味をしたマンガ家を集めたハズの『レモンピープル』でしたが、そこでも内山氏は異彩を放っていました。と申しますのは、やっぱり圧倒的に可愛い女の子の本物のエロを描けるのは内山氏くらいで、他の作家はどうしてもかなわない。すると他のモノでごまかすか、お茶を濁さざる得なくなってしまいます。そしてその中からエロに頼らないマンガが出始めて人気を得るようになってしまう。その中にはアニメ化され、一時代を築くことになる阿乱レイ氏原作の『戦え! イクサー1』のような作品が出現したりしますので、その動き自体を否定することはできません。
この後『レモンピープル』の成功を受けて『漫画ブリッコ(一九八二年十一月)』『漫画ホットミルク(一九八六年四月)『COMICペンギンクラブ(一九八六年十月)』などが創刊されてゆき、従来のエロマンガ雑誌とは異なる、青少年向けのエロマンガ雑誌の最盛期を迎えることになります。そして今現在(二〇二四年)では従来のエロマンガ雑誌はほぼ淘汰されてしまっています。以前「『SM』を冠した雑誌はほぼなくなってしまいました」と述べましたが、今では書店に行っても、またダウンロード専門のエロマンガの通販サイトに行っても、エロマンガ・アダルトマンガというのは内山氏に由来するエロマンガばかりになってしまいました。(ココで一つお断りしておきますが、そういう現在のエロマンガは内山氏が描いていたロリコンマンガじゃないですよ) それはちょうど『マンガの神様』手塚治虫氏が創始したストーリーマンガが他のマンガを駆逐し、主流になった姿と大きくスケールダウンしたものの、重なります。
そして内山氏の人気の凄まじさはついに少年マンガ雑誌『少年チャンピオン』での連載へと繋がります。(一九八二年〈昭和五七年〉春) これは、この後、ひろもりしのぶ(=みやすのんき)氏、森山塔(=山本直樹)氏、うたたねひろゆき氏、大暮維人氏へと繋がる、エロマンガ家から一般商業作家への転身への端緒になります。ところが、内山氏自身は自分のマンガ『あんどろトリオ』が少年雑誌に掲載されていたにも関わらず、あいかわらずエロマンガ・ロリコンマンガを描くのを辞めませんでした。これは御自分のコトをよく理解されているのと同様に、私に「真の意味でロリコンマンガ家は内山氏しかいないのではないか」と思わせる一因になっています。
この『あんころトリオ』執筆時には、先ほど登場した〝神〟手塚氏が内山氏のマンガと人気が気になり、あるマンガ家の集まりで出会った内山氏と二人きりで話し込み、内山氏が感想で「(手塚氏は)やっぱり化け物」と漏らし(実話)、さらには内山氏のマンガに触発されて『プライムローズ』を描いたという話も伝わっています。
手塚治虫氏より大きくスケールダウンするとはいえ、雑誌を創刊させ、新しいジャンルを切り開き、限られた分野とはいえ従来のマンガをほぼ絶滅へと追いやった、言わば歴史を創った内山亜紀氏ですが、マンガ界にもう一つ大きな影響を与えたような気が私はしています。
それは内山氏の登場以降、誌面に可愛い女の子が登場〝さえ〟すれば、ストーリーやリアリティその他はどうでもよいというマンガが広く受け入れられるようになったコトです。それまでは思想だの、啓蒙だの、読者に知識を与えるなどと、『マンガは娯楽である』というわかりきった真実を歪めるような言動が一部の知識人(=痴シキ人)からあり、それを出版社や編集者、当のマンガ家にさえ真に受けている作品もありましたが、それがほぼマンガの世界からは一掃され、根絶されました。勿論、それは内山氏個人の功績ではありません。他の多くの作家の膨大な作品や、何より受け手=読者の判断があったからです。ましてや内山氏の意図した結果では絶対にないでしょう。そのようなマンガが少年マンガの一つとして受け入れられるようになった理由の一つには内山亜紀氏のロリコンマンガがあったのではないかと私は考えています。
そう、ひたすらに可愛い女の子が描け〝さえ〟すれば、一般の少年マンガ雑誌でも掲載され、連載を獲得し、人気を得て、マンガ家になれるという事実はストーリーや設定・リアリティに思い悩むマンガ家志望の人間にとって大きな福音になりました。そのようなマンガ作品では、ストーリーにしろ、展開や設定もその登場した女の子をただ、ただ魅力的にするため〝だけ〟に存在し、ひたすら女の子を可愛く、魅力的にしていきさえすれば許されるのです。(ココでは、あえて個別の名前は挙げませんが、皆さんも覚えがある作品を一つや二つ、ひょっとしたら十以上挙げる事が出来ると思います)
内山亜紀氏の偉大な功績はきっと表立って評価されるコトは無いでしょう。しかし、内山亜紀というマンガ家がいた事、そして彼は非常に(異常に?)魅力的なマンガを描き、多くの人に受け入れられ、大きなインパクトを残したという事実を忘れてはならないと私は考えています。
追記
以前『エロ同人師列伝』で紹介させていただいた、のりのやいち氏がpixivで〝ラク描き〟をして復活なさっておられます。気になる方は是非♡ 「のりのやいち」で検索すればすぐにたどり着けると思います。ただ、氏の作品は今回取り上げさせていただいた内山亜紀氏より、もっともっともぉぉっと観る者や読者を選びますので、くれぐれも御注意なさってくださいね。警告はしましたからね‼
セクシー田中さん事件
ていうか編集者って?
テレビ局と出版社と、両方の調査結果報告が発表されましたが、新聞のまとめ方が片寄っているのか、個人に批難の鉾先が向かないように配慮されているためなのか、まだモヤモヤというか、さらに疑問が湧いた部分も…
検証はもう『創』誌にお任せすることにして、別の問題点も指摘してみます。
基本的に、担当編集者というのは作家の味方である、と信じていたのですが、こんな実例を聞いてしまいました。(わかりやすく、言葉は変えてあります)
「ラジオドラマの話、断っておいたから。テレビならいいんだけど、ラジオじゃ、ねぇ」
「カップ麺のキャラクターの話、断っておいたから。カップ麺なんかじゃ、ねぇ」
「レコードのジャケットの話、断っておいたから。無名の新人じゃ、ねぇ」
そのレコードは、あるミュージシャンのデビューアルバムでしたが、のちに世界的なミュージシャンとなって、そのマンガ家さんより、遥かに有名になりました。
ジャケットになっていたら、どれだけの宣伝効果があったでしょう?
もちろん、実現していた場合の結果なんてわかりませんから、担当様の判断が正しかったかもしれません。
が、そういう担当様の断る理由は、たいてい、そっちに時間をとられて、作家の締め切りが遅れると困るから、なんですよね。だから、作家に電話一本、相談してみることすらしない。
ある意味、そういう企画はギャンブルと言えるかもしれませんが、潰れる心配のない大出版社の編集者こそ、ダメ元でも、チャレンジしていただきたいものです。
別な見方もしてみましょう…
子どもに有害だからと、先生やPTAから校庭で燃やされることさえあったマンガなのに、経済的な勝ち組になったら、何を偉そうに……何様のつもり?
それって、ナチスの虐殺から逃れてアメリカに渡り、ハリウッドの映画界で成功した勝ち組のユダヤ人が、今度は、黒人と女性を差別する……
みんな同じような構図にしか見えないのですけれど……?
編集者の端くれ
元『JUNE』編集長
京都精華大学マンガ学部
佐川俊彦
『JUNEの時代』のあとがきで、捜索願い(?)を出してみた神崎春子さん。知り合いの知り合いが連絡をとってくださって、超久しぶりに御本人と電話でお話することができました♫
ありがとうございました、感謝です♫♫