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参加イベント
コミケット 8月12日(二日目)東7ホール iー37a
コミティア 8月18日 東ホール かー12b
泉ゆき雄「ジャイアン」 前編
ジャイアンといっても剛田武のことではないよ。講談社『たのしい四年生』『たのしい五年生』に連載された、泉ゆき雄「少年探偵団シリーズ(仮称)」に登場するロボットの名前である。
なぜタイトルに仮称とつけるかといえば、連載中にタイトルが色々と変遷するからだ。タイトルの変遷と原作表記の問題に関しては結構ややこしいので後述する。
泉ゆき雄「少年探偵団シリーズ」は講談社『たのしい四年生』1960年6月号から1961年3月号、引き続き『たのしい五年生』1961年4月号から1962年3月号と全22回にわたり連載された。
本来このシリーズの2話目以降のいわゆる「ジャイアン編」を紹介しようと書き始めたのだが、単行本読み返したら第1話の「まじゅつしと少年探偵団」がちょっと狂ってて面白そうだったので、「ジャイアン編」を放りだして、まずはこちらを紹介しよう。
泉ゆき雄「少年探偵団シリーズ」第1話「まじゅつしと少年探偵団」は『たのしい四年生』1960年6月号~11月号の全6回にわたり掲載された。原作は当然のことながら江戸川乱歩(多分原案)である。まずは粗筋を。ちなみに各回ページ数は扉を除いております。
第1回:11ページ
明智探偵の留守宅に復讐の鬼・魔術師と名乗る男から電話がかかってくる。それは今夜零時に大金持ちの富山十郎一家を全員殺害するという予告だった。小林少年はバイクで急遽富山邸へと駆けつける。一方明智探偵は魔術師の策略によりバイクに鎖で縛り付けられ海底にへと沈められてしまう。魔術師は父親を殺されたかたきをうつために富山に復讐するとのことだった。明智探偵不在のまま深夜零時になると富山邸に魔術師の笑い声が響きわたった。
第2回:14ページ
深夜零時とともにテレビに魔術師が映り、富山十郎への復讐を予告するメッセージが流れる。だが肝心の魔術師は現れない。安心した富山十郎は食事を取ろうとパンをかじるといきなりパンが爆発する。なんとパンには火薬が仕込まれていたのだ(どうやって仕込むんだ 汗)。爆発により富山十郎は死んでしまった。そこに再び魔術師からのメッセージが流れる。次の満月の晩に残った富山十郎の3人の娘、友子、ひとみ、まなこを殺すというのだ。
一方海底に沈んだと思われた明智探偵は魔術師の娘チヨ子によって助けられた(か弱い女手でどうやって鎖をほどいて海中から助けたんだろう?)。チヨ子によると魔術師と富山十郎は第二次大戦中潜水艦の艦長と副艦長という間柄で、沈めた輸送船に積まれていた財宝をめぐり魔術師は富山に死ぬようなひどい目に合わされ、そして復讐を誓ったそうだ(前回では父親が殺されたからだったと言ったはずでは?)。
そして魔術師に見つかった明智は再び捉えられ潜水艦の艦橋に縛り付けられてしまう。
第3回:14ページ
艦橋に縛り付けられたまま潜水艦は海中に沈み、明智探偵はサメのエジキとなってしまった。
やがて予告された満月の晩となった。警官隊による厳重な警戒の中、壁にかけられた絵から魔術師の笑い声が。一斉に壁の絵に向かって警官隊が発砲する。その背後のソファーの中からマシンガンを持った魔術師が突如現れる。しかしその魔術師を背後から警官が狙撃しようとする。さらにその魔術師を助けようと警官を富山の娘友子が銃で撃った(ややこしい)。実は友子は富山に育てられていたが本当は魔術師の娘だったのだ(えー!)。
第4回:12ページ
逃げ出そうとした魔術師の前に立ちはだかるもう一人の魔術師。それは明智探偵の変装であった(なんでわざわざ魔術師に変装してたんだ?)。潜水艦が沈むときチヨ子が魔術師の部下をひとり気絶させ明智の身代わりとしてくくりつけたのだ(だからか弱い女手でどうやって海中から助けたんだろう?)。実はチヨ子は本当は富山の娘で生まれたときに友子とすり替えられていたのだ(えー!)
手錠をかけられ警官に連行される魔術師。だが連行した警官は実は魔術師の仲間であった。パトカーで逃走する魔術師。一緒に運ばれたトランクの中にはひとみとまなこが!だが連れ去ったと見せかけた二人の娘はまだ屋敷の地下室にいた。魔術師は逃げる寸前に屋敷に火を放っていたのだ。炎にのみ込まれそうになるひとみとまなこを助けるためにチヨ子が地下室に飛び込んだ。火から逃れようと屋上へと逃げる三人。そこで床が抜け落ちる。
第5回:13ページ
ひとみとまなこを助けるために自らロープの手を放したチヨ子。炎の中に落ち死んでしまった。
魔術師に逃げられ当面身動きができない明智は団員とひとみとまなこを連れ慰労がてらにボクシングの試合を見に行った。
かっぱ三太郎とゴリラマンのボクシング試合を見ていると明智の背中に「ひとみとまなこの命はあと30分だ」という魔術師の予告状が貼り付けられた。
第6回:20ページ
ボクシング試合の余興に手品師のショーが始まる。観客席にいたひとみよまなこが空中浮遊により連れ去られる。手品師はなんと魔術師だったのだ。魔術師はマシンガンを乱射してひとみとまなこも撃たれてしまう。そこに明智探偵が警官隊とともに現れその場を鎮圧する。
観念した魔術師が仮面を取るとそこに現れたのはなんと富山十郎であった(なんてこったい)。パンの爆発により死んだと思われた富山はこっそりと友子により墓から助け出されていたのである。更に語られる驚愕の事実。実は本当の富山十郎はとうの昔に殺されていて、魔術師が成り代わっていたのだ。つまり魔術師=ニセ富山十郎ということである(えーえー)。ニセ富山十郎は本物の富山十郎の財宝を引き継ぐためひとみとまなこの二人の娘を殺そうとこの事件を企てたのであった。
警官隊に取り込まれ進退窮まった魔術師(ニセ富山十郎)はリングに仕掛けた時限爆弾を発動させ、その場の全員を巻き添えにして爆死を目論む。だがポケット小僧の活躍により魔術師(ニセ富山十郎)以外は難を逃れ、無事大団円を迎える。
よくよく考えるとなんて恐ろしい事件だろう。魔術師(ニセ富山十郎)はなぜこの事件を企てたのだろう? 財宝を引き継ぐのならひっそりとひとみとまなこを殺せばよいだけなのに。なによりまんまと富山十郎(本物)に成り代わっていたのなら何もしなくとも財宝は自分の物だったんじゃないのか? 謎が謎を呼ぶというより、そもそもなんでこの事件が起きたの? 不思議な話なのである。
そして友子は、本当に魔術師(ニセ富山十郎)の娘だったのか、それとも富山十郎(本物)の娘だったのか最後まで明かされない。そしてボクシング会場にいた友子は爆発に巻き込まれたのか助かったのか、そこら辺も描かれていない(汗)。あまりにも投げやりでちょっと友子が不憫である。
わずか80ページの長さの作品でこれだけあらすじ書かなきゃならないのも珍しいというか、展開が目まぐるしくてついて行けないというか、作者は毎回毎回後先考えずに場当たり的にストーリー考えたんじゃないのか?・・・。
最終回ラストにかっぱ三太郎=かっぱキッドというキャラが出てくる。これが実は明智探偵の弟(なんだって!)という設定で、次話以降狂ったように大活躍するので、次回「ジャイアン編」をお楽しみに(笑)。
古い話、書いてみて良いですかね?と藤本さんに伺ったら「どーぞどーぞ」ということだったので、今回から80年代前半の文京区の私立中学に通う、うっかり、というよりはちゃっかりした女の子の昔話を始めてみる。
埼玉からの遠距離通学の傍ら御茶ノ水の乗り換え時に、駿河台下の書泉グランデ、高岡書店を教えてくれた友人は千代田区在住だった。都会と都会育ちの子は私とは違うなとときめきながら、当時はまだ立ち読みができていた本屋さんの「立ち読みはおやめくださーい」の声にめげず、冊子を貪るように読んだ。その中にはぱふがあり、コミックボックスがあり、高岡書店のレジ横で漫画の手帖とふくやまジックブックをチラチラ見ていた。
中高一貫、うっかりすると短大、四大まで同じメンバーでエスカレーターに乗らされた私たちだったが、友達の中から1人中途退学者がでた。漫画好きで絵もうまく、アニメ知識が豊富なHちゃんは、葦プロのファンで大空魔竜ガイキングのファンクラブを作ったり、家庭科の刺繍課題でプティアンジェのランチョンマットを作ったりするお茶目で背の高い女の子だったが予告ほとんどなく、中学2年の春休みに学校を去った。学校が変わっても漫画仲間で、漫研やろう!なんて相談をして、当時高かったコピーを使ってペナペナの本を作ったりした。地元の中学に通う彼女が待ち合わせ場所に選んだのが池袋西武の階段近くにあったくりくり新聞コーナーだった。
くりくり新聞は、たまにSNSでも話題に上るが、かつて毎日新聞が出していた日曜版の子供新聞で、1面がどーんと投稿者の絵。漫画アニメ関係の情報も豊富だった。新聞自体はあまり手に取っていないのでよくわからないのだがそんなくりくり新聞がいっとき交流スペースとして壁に囲われた四畳半ほどのスペース「くりくり」を池袋西武の一角に持っていた。浪花愛さんが主導で行った長浜監督の追悼本イベントもここでおこなわれた記憶がある。白い壁は格安でギャラリースペースとして貸し出され、交流ノートがあり、ご自由にお読みください、と同人誌がおいてある。
赤羽の地元校に通う彼女と文京区の学校に通う埼玉県民との待ち合わせ場所には最適の場所であった。
丸の内線の御茶ノ水乗換をしていた私にとっては縁が無かった池袋。彼女との待ち合わせがなくても足繁く池袋に通い始めたのは夏も過ぎた頃か。当時作画グループ追っかけとも言える熱狂的な聖悠紀ファンの私は、同人誌に飢えていた。とはいえ制服以外を着て日曜日に埼玉から都心の即売会に出る度胸はまだなかった。お小遣いもすくないし、本屋以外で本を買ったこともなく、そのくせ情報誌で見聞いた「行ってもシベール廃刊らしいし」等とくやしまぎれに呟くただの中学生だった。
くりくりの交流ノートには見たことない単語と上手な絵が並ぶ。当時も今も女の子の左向きの絵しかかけない私だけれども、仲間に入りたくて落書きを描き始めた。当時神保町でアニメックやフュージョンプロダクト等の情報誌を手に取り「時代はロリコン」と勘違いした頭のゆるい中学生は作画グループでみたこのま和歩先生の猫耳とリスの尻尾の女の子をリスペクトというかぱくり、文章添えてノートに書いたり、置いてある同人誌を何度も読み返して暗記するほどだった。
ある日目新しい同人誌を手に取り、パラパラ見ていると数人のお兄さん連中が慌てた。手にとってはならぬ、自分たちのものだという。聞けば閲覧用の同人誌ではなく同人誌をコピーして配布しているという。今で言う自炊だし、海賊コピー制作だけれど、まあ時効なので許してほしい。そのコピーがどうも見覚えがある。
シベールだ。休刊したと聞くシベール!
返してほしいというお兄さん方に「私もこのコピーが欲しいです」と、なけなしであるお小遣い月3千円のうちの百円玉を握りしめて訴えた。お兄さんたちは困惑顔だ。密かなエリート趣味であるロリコン同人誌を見ず知らずのメガネの中学生に譲るわけにはいかないという。今思うとエロ本だし、お兄さんの訴えはもっとも。しかしここで魚を逃すと次はない。
自分がいかにシベールが読みたかったか、アニメックを何度読み返したか、友達と吾妻ひでお大全集を貸し借りしているか、気ままな妖精から、内山亜紀の妖精シリーズを揃えているとか、おかしいくらいの熱意を持って訴える女子中学生。
熱意に負けたのか首謀者のI氏はコピーを譲ってくれることになった。ありがとう!
明るいデパートの一角で、なぜだか黒表紙同人誌のコピーを手に入れることができ、連絡先を交換し文通相手となったI氏に、せっかくだからと絵も描いて送った。
「あー!ノートに描いていたゆきあやの、さん?僕はあなたのくりくりノートの絵、トレペでトレスして持ってます。今度同人誌を作りますので書きませんか?」「それにしても女子中学生が参加してくれるとなったら、他のロリコンサークルを出し抜いて、吾妻先生のお気に入りになれるかもしれないぞ〜」
とまあ、こんな感じの熱意ある「おてまみ」からロリコン界に第一歩の歩みを進めた、ロリコンガールなのであった。
コミティア漫研の合同誌と私の掲載作
第三回 「少年探偵meets少女探偵」と「殺人ホテル事件」
――「漫画の手帖87」掲載分の続きです。
獅子神タローさんは私より二つ年長で、子供のころはご多分にもれず赤塚不二夫、藤子不二雄の模写に熱中し、加えて板井れんたろう(知られざる少年漫画における萌え美少女の元祖)にも影響されたとか。学生時代はジャンプに投稿し、選に残ったこともあるそうです。卒業後は京都の銀行に就職し、バブル時の超多忙勤務のかたわら業界紙に四コマ漫画を連載したり、二十一世紀に入ってから、すなわち四十代にして仲間と同人活動を始めたといいますから、そのまんが道は息長くブレのないものだと言えるでしょう。
その性格は温厚にして、どこまでも人に親切。相当に人格に問題のある私と長く付き合って、何かアドバイスをくれるときには考えに考え抜いてくれることからも、その人柄は知れるでしょう。人間ことに男は、中高年に達するとなかなか新しい友達はできないもので、できても長続きしなかったりするものですが、獅子神さんのおかげでそうならずにすんでいるのは、実にありがたいことだと思っています。
そんな獅子神さんとの対面を果たしたのは、コミケ84で氏が来京された際の二〇一三年八月十一日でした。今はなき新宿東口の昭和レトロ喫茶店「珈琲西武」でえんえんと駄弁ったり、私が引っ張りこんだAGC38というバーチャル美少女キャラクターの合同誌の会にお連れしたりしました。
そう、前回記した「コミティア漫研」と遭遇したコミティア105は、その一週間後。獅子神さんにも手伝ってもらい、日付を確かめてもらって、物ごとというのは不思議につながっているものだと軽く驚きました。
コミティアが私にとってうれしかったのは、とびぬけた「まんがエリート」(往年のCOMのキャッチフレーズですね)でなければ描いてはならないように思っていた漫画が、小説と同じようにみんなの表現として解放されていることでした。
同人誌第一号
「少年探偵Meats少女探偵」
同人誌第二号
「殺人ホテル事件」
そこから生まれた「漫研」もまたそうだろうと勝手に期待したわけですが、それは幸い裏切られませんでした。加えてありがたかったのは、そこがおよそ八か月間の活動をはさんで、最終的に参加メンバーで合同誌を作ることを目標としたことです。
それまでは週一度、めいめい描きたいものを描いたり見せ合ったりして、それをお互いの刺激にしつつ作品を育てて行けばいいわけですから、自分にも何とかなるような気がしました。何せ、「ラブライブ!」合同誌のときよりはだいぶ余裕がありましたし。
そこで私がしたことは、例会にはダイソーの無線ノートを持ちこんで、とりあえず何かキャラ絵を模写する。場所が小学校跡で、ほかの教室ではまたいろんな活動だの講座だのが開かれているのがいかにも漫研っぽく、土曜日にそこへ通うのがひそかな楽しみだったりもしました。
合同誌の作品は八ページで、そこは商売柄お話作りはは簡単に……とは行きませんでしたが、何とか私好みのレトロ少年探偵的世界観ででっち上げ、ネームについてはゲストで来られていたBELNE先生にチェックしてもらいましたから、今思えばぜいたくな話です。
当時のコミティア漫研コミュは紙にペンで書くアナログが大原則で、仕上げのみデジタルが加わる感じでした。分不相応にもすでにコミスタを持っていた私は今見るにつけてもなかなかに恐ろしい出来栄えの漫画を仕上げ、メールを見ると二〇一四年一月十五日朝に送信しています。
題しまして「少年探偵meets少女探偵」、そのほんの一部をお目にかけますが、何とあれから十年。うまくすれば、こちらで現在の私の絵をお目にかける機会もあるかもしれませんが、あまりの進歩のなさに皆さんを呆れさせ、私自身は阿鼻叫喚的自己嫌悪に陥るのではないかと今から心配です。
この作品は合同誌「コミティアが漫研を始めたようです6」に掲載され、二〇一四年二月二日のコミティア107で頒布されました。そして私はその作品(の抜き刷り)と新作「殺人ホテル事件」(いずれもコピー誌、キンコーズの自動製本サービスを利用)を引っ提げて、同年五月五日のコミティア108に初のブースを出すのですが、ああ、何とそこに大いなる危機が待ち構えていようとは知るよしもなかったのでした。
今から当時を振り返っても、はっきりとはわからないのですが、もともとボヤキ体質だったところに、自作がなかなか世に伝わらないもどかしさに、手は投げやり口は不満タラタラといったところで、そのくせ漫画にうつつを抜かしてるように見えたとあっては、身近からはいい顔されなかったのも当然の話でした。
今でも覚えているのですが、コミティア漫研の合同誌への寄稿作品は、セブンイレブンで線画をスキャンしたのですが(TIFF化が可能だったので)、そのとき背後から何ともいえない視線を感じたことを覚えています。誰の視線かは言わぬが花ですが……。
その後、本業の方でどうにかいくつか成果を出すことができたのと、獅子神さんのお人柄に接したおかげで禁は解け、ツイッターでカラッ下手な絵を発表したり、このように「漫画の手帖」に連載をさせていただいて、あわよくば、これを漫画実作につなげられるかもという状態にまでこぎつけたわけです。
結論だけ言いますと、二〇一四年八月三十一日に参加を予定し、申し込みも済ませていたコミティア109には、そんなこんなでとうとう不参加となりました。以降、何と十年の歳月を閲し、二〇二四年五月二十六日のコミティア148に至るまで空白ということになってしまったのです。ちなみに、その一週間前の文学フリマに続いて、コミティアのブースでいっしょに売り子をしてくれたのは、ほかならぬウチの細君でありました。
昭和漫画館青虫での永野のりこ先生「まんがの描き方教室」(2016.10.15)
長野紀子先生の教室で描いた課題作品
それ以降、私の漫画に対する悪あがきが絶えたかというと、決してそんなことはなく、懲りもせずまた蠢き出しまして、二〇一六年十月十四日には、はるか福島県只見町の「昭和漫画館青虫」に足をのばしました。水害の関係で鉄道が途絶し、一本逃すと六時間ほど間が空く地にあるそこで、翌十五日に「まんがの描き方教室」を永野のりこ先生が開かれるためで(笹生那美先生が同行)、ここを二度目に訪れた際には獅子神さんとオッサン二人旅を敢行したものでした。
ほかに『マンガのマンガ』という素晴らしい参考書で知られる、かとうひろし先生の「まんがCOM」(二〇一八年十月二十一日)という教室に参加し、神田のビルの5階(エレベーターなし)に、ヒーハー言いながら足を運んだものでした。
コミティア漫研コミュは、ほどなくして解散してしまったのですが、場所を変え、名も「まんけん」と改めての作業会は、月一ぐらいのスペースで高円寺の区民集会所を中心に長く続き、時折そこへ行っては顔なじみの皆さんが今や液タブやiPad派に転向したのを尻目に、相も変わらぬ無線ノートに目についたキャラを模写するという日々が続いたのでした。
私が考えていたのは、これは「まんけん」参加者からのアドバイスでもあったのですが、とにかく男の子なり女の子の顔を、小学生がひらがな・カタカナを書くように、半ば無意識に描けるようにすること。つまり漫画の基本要素を「書き取り」をするように身につければ何とかなるのではないかという考えでした。
ほかに、自分も後に物語作りの講座でかかわることになるMANZEMI(マンゼミ、当時はまだ別の名前だったかもしれません)の「プロ漫画家が教える初心者のための漫画イラスト講座」のため国立駅まで足を運んだり、二〇一九年十月に始まった、同じくMANZEMIの「人体作画講座」では、ちょうど私自身がそこで講義を持つことになっていたのを幸い、その参考という名目で斉藤むねお先生が事細かに教えてくださる人物ポーズの描き方レッスンに、テンプラ学生(とは今言わないのかな)として紛れこんだものでした。
このとき痛感したのは、さっきの「プロ漫画家が……」でもそうでしたが、顔の描き方や人体の構造、それらの構成要素の比率などを学び、猿真似をすること自体はできます。しかし、それらにキャラクターとしての肉付けをし、顔を描いてあげる段階になると、手も足も出なくなる。骨組みやアタリからちっとも変化しないのです。
これはもともと私が漫画を描くための「絵柄」を持っていないせいだという結論に達し、以降はとにかく書き慣れることを目的に、特定の作家や作品を模写対象にするのではなく、ひたすら雑多なものを自分の中に取り込んでいけば、そのうち自分の絵柄が完成するだろう――と考えたのです。
かくて、さきほど言った「書き取り」作業を延々と続き、ようやく二〇二二年二月十日、最初に買ったダイソーのノート五冊を使い切ったのですが、はたしてそこで見えてきたものとは……?
イスラエルとマンガ
この原稿を書いているのは二〇二四年六月初めです。二〇二三年十月に始まったイスラエルによるガザ侵攻は、停戦交渉がされているもののまだまだ先が見えません。これまでのパレスチナ側の死者は三万六千人超と言われていて、その多くがこども。全世界で停戦を訴えるデモが行われています。
イスラエルは地理的にヨーロッパ、アジア、アフリカの接する場所にありどの地域からも近い。しかし極東の日本人にとってイスラエルは遠くてよく知らない国です。
日本マンガも同様です。イスラエルを扱った日本マンガとしてまず思い浮かぶのは『ゴルゴ13』や『マスターキートン』などの娯楽作品でしょう。ゴルゴにはイスラエルやその情報機関であるモサドがいっぱい登場してますし、キートン先生も西アジアにはよく行ってます。
ただイスラエル建国から影響を受けたマンガとして、わたしがまず思い浮かべるのは手塚治虫『鉄腕アトム』の青騎士の巻です。
雑誌「少年」に連載されたのは一九六四年から一九六五年にかけて。青騎士は反人類の旗を掲げ、ロボット国家ロボタニアの建国をめざします。
「むかしいちばんふしあわせだったユダヤ人が…… ちからを合わせてイスラエルの国をつくったように ロボットたちの国をつくるのだ」
イスラエル建国を描いた映画「栄光への脱出」が一九六一年に日本でも公開されました。監督オットー・プレミンジャー、脚本ダルトン・トランボ、主演ポール・ニューマン。全世界、さらに日本でも大ヒットした作品で、当然手塚治虫も見ていたはず。この映画見てますと、どうしてもイスラエルすごいなあ立派だなあ、という気分になってしまいます。当時も西アジアの混乱は続いていましたが、青騎士の描写がイスラエルびいきなのは、わたし、手塚先生この映画に影響されたんじゃないかと思ってます。
しかしその後、手塚治虫は『アドルフに告ぐ』(一九八三年から一九八五年連載、週刊文春)では方向性が変わりました。ラスト、もとナチスのアドルフ・カウフマンはパレスチナ解放戦線に参加。かつての親友、イスラエル軍の軍人となったアドルフ・カミルに殺されます。さらにその後、カミルはパレスチナゲリラの手で死亡する、という展開。二人の主人公がともに大量殺人者となり、紛争の中で自壊していく欝々としたラストで、手塚はどちらに組みすることもなく、歴史の悲劇を描きました。
パレスチナ問題を扱ったグラフィック・ノベル邦訳作品としてはジョー・サッコ『パレスチナ』があります。一九九七年にいそっぷ社から出版され、二〇二三年には『パレスチナ 特別増補版』として再刊されました。作者が一九九一年から一九九二年にかけてヨルダン川西岸地区とガザ地区を訪れて描いたルポルタージュ。コミックス・ジャーナリズムの嚆矢としても有名な作品です。
またイスラエルを紹介するマンガ方面の本として、二〇二一年に花伝社から発行された『だれも知らないイスラエル』があります。著者は「バヴア」を名のる二人組。井川・アティアス・翔と戸澤典子が二〇一七年にイスラエルで設立したグラフィックノベル制作ユニットです。
井川の父親は日本人、母親はモロッコ系イスラエル人で、日本生まれアメリカ育ち。アメリカの大学を卒業したのちイスラエルに移住した青年です。戸澤は子育てが終わってから日本の大学に入学、その後ロンドン大学に留学して、イスラエルに旅行。イスラエルに惹かれ、現在は東京大学大学院総合文化研究科博士課程後期に在籍中。井川と戸澤はイスラエル人にインタビューしてストーリーを作り、現地のいろんな画家に依頼してイスラエルを舞台にした短いグラフィックノベルをいくつか制作しています。
本書はバヴアのかかわった作品、イスラエルの有名マンガ家へのインタビューと作品紹介、そしてイスラエルとはどんな国かを語った文章部分からなっています。じつは文章の部分が最も長い。
イスラエルは西アジアではいちばんの民主国家であると自ら標榜していますが、ユダヤ教を国教とする宗教国家であり、国民皆兵の軍事国家でもあります。
この本で知ったのですが、「ユダヤ人」には公的な定義があるのですね。ユダヤ人とは「本人がユダヤ教徒か、母親がユダヤ教徒でその母親から生まれた子供」とイスラエルが決めてます。
当然ながらすべてのイスラエル国民は移民であり、イスラエルを構成する民族はきわめて多彩。イスラエルに住むユダヤ人はいろんな出自を持っており、欧米出身、中東や北アフリカ出身(バヴアのひとり井川の母はモロッコ系ユダヤ人です)、旧ソ連出身、エチオピア出身などにわかれます。それぞれが独自の文化を持っており、ユダヤ人社会でも彼らの出自による差別があるそうです。
そしてイスラエルを構成する国民はユダヤ人だけではありません。イスラエルの人口、九二九万人のうち、ユダヤ系イスラエル人は七十四%。アラブ系イスラエル人が二十一%いて、その他の移民・非ユダヤ人が五%です(二〇二〇年の統計)。アラブ系イスラエル人はキリスト教徒もいますが多くがムスリムであり、パレスチナ人です。
これ以外に、旧ヨルダン領であるヨルダン川西岸地区はイスラエルが占領を続けており、占領地と呼ばれるそこにはパレスチナ人が二九〇万人住んでいます。またイスラエルが封鎖しているガザ地区に住むパレスチナ人は一九〇万人。さらに周辺国の難民キャンプで暮らすパレスチナ難民は五六〇万人です。
イスラエル建国から七十年、ユダヤ系イスラエル人よりよほど多いパレスチナ人が、イスラエル国内、占領地、国外の難民キャンプに暮らしています。これが西アジアの現在です。
さて、バヴアの二人はクラウドファンディングを利用してイスラエルのグラフィックノベルを邦訳出版しました。ルトゥ・モダン『トンネル』(二〇二四年花伝社、バヴア訳)です。
イスラエルでトンネルといえば、ハマスによりガザ地区の地下にはりめぐらされたトンネルを思い浮かべますが、本書のトンネルはそれではありません。主人公は書影に描かれた四人のうち、左から二番目、有名考古学者の娘で自身も在野考古学者であるニリです。一児の母でシングルマザー。彼女の父親は十戒の石板を収めた「契約の箱」を探して発掘調査をしていましたが、インティファーダ(パレスチナ人によるイスラエルに対する民衆蜂起)のために中断。そして今、ニリが父親の跡をついで発掘を再開しようとします。ところが、父親が発掘のためトンネルを掘っていた場所は、ヨルダン川西岸地区。今やそこに行くにはイスラエルが建築した高さ八メートルの分離壁が立ちはだかっていました。
ニリはイスラエル側から新たなトンネルを掘り、父親が掘ったかつてのトンネルにつなげようとします。
ニリがついに父親のトンネルに到達したとき、そこにいたのはパレスチナ人の兄弟でした!(書影の右側ふたり)
彼らはニリの父親のトンネルをイスラエル側に向けて掘り進んでいたのです。どうする? どうなる? そして「契約の箱」の行方は?
基本的にコメディです。絵のタッチはご存じエルジェの『タンタン』に似てます。誇張された人物。同じ太さのていねいな線で描かれた人物と背景。フランス、バンド・デシネの古典的リーニュ・クレールですね。
作者のルトゥ・モダンは一九六六年イスラエル生まれ。国立美術学校で学び、一九九五年にイスラエル初のコミックス出版グループを設立しました。二〇〇七年に刊行された『Exit Wounds』は二〇〇八年のアイズナー賞新人賞を受賞しました。テロの自爆攻撃で死亡したかもしれない父親。父親の若いガールフレンドに請われ、息子は不仲だった父親の行方を捜すことになる、というお話。
ルトゥ・モダンの最新作となる長編が二〇二〇年に刊行された『トンネル』です。本書の魅力は多彩で一筋縄ではいかないキャラクターたちの造形です。
主人公のニリは天才的な考古学者です。勝気で交渉術にたけぐいぐい押しまくる性格。ニリのライバルとなる考古学教授ラフィはいろんな手をつかって「契約の箱」を横取りしようとしています。ニリの弟は気弱でラフィに顎で使われていますが、認知症になってしまった父親をきちんと世話している。そしてじつはゲイ。父親を介護している使用人はフィリピンから来た女性。父親の睡眠を邪魔するニリをきちんと叱ったりもします。ニリの発掘作業のパトロンとなる男性は古代遺物のコレクターです。しかしほんとの大金持ちは実業家である妻。イスラム国と取引したことを妻に知られ、自分の膨大なコレクションを大学に寄付されてしまいますが、それでも新たな収集をあきらめていません。
あなどれないのがベテラン発掘作業員のゲダンケン。肥満体でキッパー(小さな帽子)に長いひげ。言葉のはしばしに聖書を引用する「宗教派」ですが、手八丁口八丁でイスラエル軍とも渡り合います。名誉欲を動機にしながらもヒロイックな行動もできる人物です。これらのキャラクターがじつに生き生きと動き回ります。
作者は自身の作品は政治的なものではないと語っていますが、登場人物のセリフのはしばしから「イスラエル的」なものがこぼれ出てきます。
本書の宝物である「契約の箱」は西岸地区に秘されているわけですが、
「まさかパレスチナ領なのか? だとしたら、イスラエルにとってイスラエル領の遺跡よりさらに重要だぞ!」
「パレスチナ当局には申告が必要になりますよね? 古文化財保護の国際法によると彼らのものになります」
「法なんぞクソ喰らえだ 倫理的な観点からして契約の箱はイスラエルの民のものだからな」
イスラエルは占領地に対して国際法違反の入植を繰り返していますが、
「イスラエルの地での入植は、一分だって止めることはできん。入植地を作り続けることで、二度と取り壊せなくするんだ」
「我々はイスラエルの地への入植、ただこの善行のために尽くしたいだけだ」
こういうセリフには違和感を覚えずにはいられません。聖書にあるペリシテびとは明らかに悪役として書かれていますが、ペリシテびととはパレスチナ人のこと。対立の根は深い。
しかしこの冒険譚、契約の箱をめぐる発掘騒動は、困ったことにたいへんおもしろいのです。きちんとまとまっていてエンタメとしてよくできている。クラウドファンディングで本書の発行が決まったのが、二〇二三年六月でした。そして実際の刊行が今。ガザでの悲惨な現実との対比が読者を混乱させます。
こころ穏やかに本書を読むことができる日が来てほしい。しかしそれはいつになるのか。