■漫画の手帖86号にて、この夏、10年ほど前の引っ越し荷物の整理をしていたことをお話しました。
その荷物の中には、オタクである私にとってはメッチャ価値があるものの、私以外の人間にはその価値が殆んどわかってもらえなさそうなものが少なからずありました。私が突如死ぬようなことになったら、それらはただの無価値なものとして捨てられてしまいそうです。それは残念すぎる。
もうこうなったら、この場でコレクション自慢をして、その価値をアップさせてやろう、と思いました。もしかしたらマニア界隈で人気が出て「まんだらけ」あたりで高い価値がついてしまうかも…といった淡い期待を抱きつつ。
そんな今回は、私がかつて作っていたミニコミ「啓蒙天国通信」と、そこで取り上げた人々によって作られた特殊マンガ同人誌「ブロイラー」に至る話などぼちぼちとさせていただこうかと思います。何だかんだで殆んど自分語りになってしまいますが、そこはご容赦です。
■私がマンガ同人誌や同人誌即売会のことを知りはじめたのは高校生の頃。友人が漫研に入っていて私も入り浸っていましたが、その漫研の先輩たちが、ファーストガンダムのパロディ漫画の同人誌を作っていました。その同人誌は、身内贔屓でもなくすっごい良い出来で、今読んでみてもメチャ面白い。そして先輩らは「コミックマーケット」なるものに参加し、そこでも結構売れているらしい。そんな噂を聞いて、そのコミケとやらにも足を運んでみました。
当時はまだ川崎市民プラザの頃でしたが、自分たちで描いた作品を集めて本を作り自分で販売する、そういう志を持った者がこれだけ集まってイベントを行っている、こりゃスゲーと思いました。俺も大学に受かったら漫研に入ってバリバリやるぜ、目指せコミケ!
そして一浪して大学生になったのは80年代初頭のこと。大いなる期待を胸に抱いて漫研に入りますが…正直、その大学の漫研はイマイチ。外の世界を知らない古い価値観の先輩が幅を利かせガラパゴス状態で、コミケを目指して何かやろうとするような人は殆んどいません。
私は2年で部長になり色々な改革に着手しますが、つまらない人間関係で無駄に疲弊し消耗します。
大学漫研名義で会誌を持って同人誌即売会にも出てみるものの、美味しくもない料理を漫然と寄せて集めた統一感のない幕の内弁当のようなウチの学漫の会誌など、まあ殆んど売れません。
そんな感じで、殆んどやりたいことは出来ないまま大学卒業となります。80年代中頃のことです。
■漫研の中で「俺は絶対プロになる」と豪語しチヤホヤされていた人らはシレっと就職し、それと同時にマンガは一切やめていきました。
私も普通に就職しましたが、学漫時代の枷がはずれて、自由に使える金も増えました。これからは自分の好きなことがどんどん出来る、むしろマンガ同人活動をやる気マンマンでした。
学漫時代にそこそこの画力も身につけていましたので、そこそこ売れる本を作れる自信はありました。そして実際、MGMなどの即売会に「ワークエリア」名義で出て、意味不明のアホな作品の薄い本や笑える社会派っぽい本(統一教会問題とか反原発とか天皇陛下御在位60年記念とか)などを出してそこそこ注目され、コンスタントに売れるようになりました。学漫の会誌が殆んど売れなかった頃の事を考えれば、目標はかなり達成された感じでした。「俺は絶対プロになる」と豪語してシレっとやめていったヤツらを見返した気分でもありました。
ただその頃、マンガ同人誌即売会というものに疑問と言うか物足りなさを感じるようにもなっていました。
せっかく自由な表現の場でありながら、殆どの人らはそれをあまり活かせていないように思えます。どれもこれもプロのヒット作の焼き直しを下手にしたような絵柄が溢れている。エロいアニパロなども流行りだしていましたが、どれも展開は予定調和です。むしろプロよりも個性が薄いのではないか。そんな狭い世界で膨らんだ自意識を満たしている…何か違うんじゃないか?
それで、左翼らしく同人誌即売会の世界に「カクメイ」を起してやろうみたいなことを考え始めます。いやカクメイは大袈裟ですが、とにかく何か予定調和で図体ばかり肥大化しマンネリの腐臭を放つマンガ同人誌即売会シーンに一発爆弾を投下して風穴をあけて風通しをよくしてやりたいと思いました(勿論比喩ですよ)。
…とは思ったものの、大した実力もない私一人では大したことが出来るはずもない。さてどうしたものか。
この頃に出会ったのが、当時まだコミケ初心者であった故・山本夜羽でした。彼は「少年KIDS」という本を作ることで彼なりに漫画界にカクメイを起こそうとしており、そのカクメイの同志探しの中でコミケ会場で私も声をかけられました。
私もそれに乗ろうかとも思いましたが…後日、そこに掲載される他の人の作品を見せてもらい、うーん…となりました。見せられた作品は左翼運動界隈では多少チヤホヤされるかもですが、オタク相手にはセンスが古くて合わず、同人誌市場では恐らくあまり受け入れられない。これではカクメイは出来ない。少なくとも私のやろうとするカクメイではないし、失敗するのが目に見えているカクメイで消耗し無駄死にしたくない。私は「少年KIDS」発行前にメンバーから抜けます。
■「少年KIDS」から抜けて、さてあらためてどうカクメイしようかと考えました。
当時の私はサブカル誌「宝島」に大きな影響を受けていました。そして、そこに載る「ナゴム」などのインディーズレーベルのバンドの活躍の情報にインスパイヤされるところが大きくありました。そして、同人マンガでインディー的なセンスでの展開は出来ないだろうか、などと考えはじめました。
そんなセンスを共有出来そうな同人作家をピックアップして紹介し、更にカクメイの同志としてオルグする、そんな思惑で作りはじめたのが「啓蒙天国通信」というミニコミです。
当時、渋谷の公園通り沿いに「CSV渋谷」という先鋭的なレコードショップがありました。アンテナショップ的な性格が強く、インディーのレコードやカセットブック、ミニコミなど扱っていて、私はそういったものを求めるべくしばしば足を運んでいました。そして、そこで見つけたのが、後に「カリスマ」と呼ばれることになる「KERO4」の本間雄二さんによる「月光病院」というB6サイズのコピー本でした。前衛芸術とかポップアートとか、そこらをアングラ風に煮詰めたような混沌とした世界。これに近いものはこれまで同人誌即売会で見ないでもありませんでしたが、同人誌即売会ではなくCSV渋谷で委託販売しているところに、その作者の志、心意気を勝手に読み取りました。
私はその本の奥付をもとに本間雄二さんにコンタクトをとり、そしてインタビューが実現しました。
芸術家肌の気難しい人が来るのかなーと少々構えていましたが、全然そういうことはなく、背が高く整った顔立ちの彼は飄々とインタビューに答えてくれました。そして、やっぱりインディーのバンドのこととか知ってる、私の見立ては当たり! 彼へのインタビューをメインとしてB6サイズのコピー本「啓蒙天国通信」1号は始まりました。
またこの1号には、「漫画の手帖」でも原稿を描いていた岸川浩利さんや潤月芒さんが参加していた「突撃プロジェクト」という同人の自己紹介ページも掲載しました。同人誌即売会で見かけた彼らの「万才腹切」という本にピピっときて声をかけました。彼らは後の「ブロイラー」の中心的存在にはなりませんでしたが、岸川さんは後に「秘密結社Q」の本や「ブロイラー」にもゲスト参加します。また岸川さんとはその後何かとバカなイベントにつき合ってもらったりすることになります。岸川さん本当お世話になってます
▲KERO4別冊「月光病院」から
▲秘密結社Q「怪坊主」
▲腸チフス5 GAS BANANA
▲マンギャ魂
■「啓蒙」第二号は、ちょっと変わった作風の本を出していた同人作家のHARB氏に声をかけて、その方と対談する形で同人誌即売会で見つけた実験的な同人誌を色々とピックアップしていく形のものとなりました。
3~4号では、「少年KIDS」の件で袂を分かったはずの故・山本夜羽と和解?しゲストに呼んでの前後編のロングインタビューです。ちょうどこの頃は反原発ブームであり、その意味で呼んだところがありました。特に4号に掲載分の後半は原発問題についての話でした。
そして5~6号、「秘密結社Q」の登場です。やはり後日「漫画の手帖」にも一時期ちょっと登場していたさくらのみおさんと、新谷成唯さんのユニットです。初めて遭遇したのは多分コミケか何かで、金髪モヒカンで強面のさくらのみおさんはそのいで立ちから既にその場を圧倒するものがありましたが、彼らが発行する「怪坊主」に掲載の彼の作品は、まあ下ネタ満載で下品で破壊的、それでいてどこか孤独の余韻を持たせる作風です。
対して新谷成唯さんは、様式化された面長キャラの織り成す濃密な世界観の作品です。この両極端な方向性の作風が一つの本におさまり、相反するベクトルの力が上手いこと調和しています。
5~6号はこのさくらのさんと新谷さんに加えまた本間雄二さんにも来てもらい、インタビューというか雑談というか、そんなものを行いました。
▲田中宏文「蟻屋敷」
▲田上伸和「じじい物語」
▲大学ノートに描かれた「伊豆の踊子」抜粋
■この6号をもって第一期終了にするつもりでしたが、もう少しピックアップしたい人らが残っていたので7~8号まで続けることにしました。
まず、長明日香さん。確かコミティア会場で、当時まだ珍しかった髪を脱色した女の子がいて、また直観的にピピっときて声かけします。アンダーグラウンドな耽美世界を描く彼女の話は刺激的で勉強になりました。
そして、大取というか真打登場というか、今までピックアップしてきた人たちには失礼になるかもですが、やっぱこの人らを世に出さないワケにはいかない、この人らをオルグするために「啓蒙」を作ってきたと言っても過言ではない、そんな強烈なインパクトを放つ超個性的な同人「腸チフス」の登場です。
コミケカタログの中で、似たようなアニメ絵の美少女のイラストが並ぶ中、田中宏文さんの描く悪意のこもったヤバめな少女の絵が異彩を放って刺さってきました。またビビっと直観が閃きました。そしてコミケで彼らの本を購入。その時は特に彼らと話をしたりしませんでしたが、B5版のコピー本「GAS BANANA」は衝撃的でした。
この衝撃を私ごときが文章でどう表現したものでしょう。例えば最初の「マンギャ魂」という作品、非常に単純化、簡素化された線で描かれたマンギャダというキャラが、脈絡なく突然辻斬りに襲われ、そしてダイイングメッセージが…ってなんだこれ? 単純化・簡素化された絵は決して実力不足でヘタウマなのではなく、その優れたディフォルメでキッチリ存在感を発揮しており卓越した描画能力を持つことがわかります。作者名が「マンギャダ」となっていますが、その作風から「ナンボウチャン劇場」として描かれる作品の作者である南房英彦さんのものとわかります。そして「ナンボウチャン劇場」の作品も「マンギャ魂」同様にどれもこれも「なんだこれ?」なものばかりで、もう腹を抱えて笑いました。
コミケカタログの絵を描いた田中宏文さんも、「明治少女飛鳥ちゃんと弥生ちゃん」や「オレは、ナスビン」などの作品で悪意ある世界を描きます。「蟻屋敷」という濃密な描写の作品は当時の「落書館」に載っても違和感のない傑作です。
そして、南房さんと田中さんという強烈な個性の中で、ほのぼのとした絵柄で毒気を吐くのが田上伸和さん。この本の最後は「タノチャンとナンボチャンゾーン」となっており、田上さんと南房さんが、デザイン専門学校の休み時間にやっていた悪ふざけの合作みたいなのが掲載されています。良い意味で、子供のような無邪気さが溢れています。中には「サザエさん」のパロディがありました。「サザエさん」のパロディはコミケなどでも散々見かけますが、ここまで無邪気で邪悪なサザエさん一家はお目にかかったことはありません。
私は奥付の田中さんの住所にインタビューしたい旨の便りを送りました。
返信は比較的早めにきました。それによると、「腸チフス」は活動停止中だとのこと。何ですと! …しかし、私の送った手紙によってやる気を回復し、活動再開することにしたとのこと。おおやった。私のお手柄じゃん。
インタビューは89年1月、新宿の喫茶店で行われました。「腸チフス」のメンバーだけでなく、本間雄二さん、さくらのみおさん、新谷成唯さんらも呼びました。正直、あらためての顔合わせの意味もありました。
まあこの時のインタビューは…録音をお聞かせ出来ないのが残念ですが、南房さんがめちゃめちゃ面白く、私は多分、一生のうちで一番笑いました。彼の存在は彼が描くマンガそのまんまでした。
■このインタビューの頃には、腸チフスのバックナンバ―に掲載された作品を再集録した「ちょんぎってやる よりぬき腸チフス」や、腸チフスとして6冊目となる「Gas Chanber」、そして、多分彼らが大学ノートに落書きしたものをコピーしてホチキスどめしただけの本を入手していました。まあどれも、こんな表現で申し訳ないですが、比較するものがないくらいのメチャクチャな面白さでした。この中で特に興味深かったのが、大学ノートの落書きコピー本。先にもちょっと書きましたが、良い意味での子供のような無邪気さであふれています。作品を全部お見せ出来ないのが本当に残念なのですが、多分、「腸チフス」の作品の面白さの根源はここらにある。それは、オフセットのしっかりとした本にした時にどれだけ発揮出来るか、そこを危惧しました。
このインタビューの後に新生腸チフスとして出された、腸チフスとして7冊目の本「ゲロオチンX」は、そんな私の心配をよそに、これまでの大学ノートの落書き的な無邪気さを残しつつ、南房さんなどは本来持っていた高度な画力を表に出した作品を発表し、また「啓蒙」で私がオルグした、長明日香さん、本間雄二さん、さくらのみ■「ゲロオチンX」で「啓蒙」でオルグした人たちがゲストとして寄稿していたことでもわかるように、この頃、私の知らないうちに(ハブられていた?)「KERO4」「秘密結社Q」「腸チフス」の交流が盛んになり、それで、自分たちで新しく同人誌を作ろうという機運となっていったようです。
私の方も、ちょっと考えることがあり「啓蒙天国通信」を誌面刷新することにします。
それまでの路線は「腸チフス」まで到達したことでその目的はほぼ達成した感じになりました。次の段階として、これまでオルグしてきたこの人たちをもっと多くの人に注目させ広い世界に売り出したい。それにはどうしたらいいか。
じゃあ、「啓蒙天国通信」を、マンガ同人を紹介する同人誌即売会向けの本という枠から飛びだして、インディーのロックやお笑いなどのサブカル、更には社会問題的なところまで扱うようなミニコミに刷新してしまおう、そして「啓蒙」を手段に、各方面に人脈と読者層を拡げ、新たな販路を開拓してやろう、そうしてマンガ同人誌即売会の外の世界の人間に認知と評判を得た上で、即売会に舞い戻ってやろうとか、まあそんな目論見がありました。
刷新した「啓蒙」9号は、ミニコミも置いてくれるレコードショップでも扱ってもらえるよう、他の音楽系ミニコミ同様にB5版でオフセット印刷にしました。そして巻頭に、当時の人気番組「イカすバンド天国」に出演したことで人気となっていたガールズバンド「マサ子さん」へのインタビューを持ってきました。
実は「マサ子さん」メンバーと本間雄二さんは旧知の仲で、私も本間さんに誘われて彼女らのデビューライブを観に行っていました。だから私の方も声をかけやすかったというところがありました。
ちょうどこの頃、世間は宮崎勤によるいわゆる東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件で騒然としていましたが、9号の中盤ではヒステリックな報道を皮肉って敢えて「私は見た恐怖のマンガ市場」とタイトルをつけ、89年の夏コミで、これまで「啓蒙」でピックアップしてきた同人の各サークルスペースに突撃インタビューする形で紹介。そして後半では事件のことをストレートに取り上げ、メディアによる安易なオタクバッシングを批判し、しかしこの事件を他人事のようにしてダンマリのオタクたちにも苦言を呈しました。
そんな感じの記事内容で作った「啓蒙」9号は「ディスクユニオン」や「新宿エジソン」などのレコードショップや、新宿御苑そばの小流通出版物取扱店「模索舎」などに委託販売してもらいました。そして、ミニコミとしてはまずまずの売り上げを達成します。出だしは良好です。おさんらも寄稿し、それが自然な形で調和し本としての完成度が高いものとなります。
▲腸チフス7 ゲロオチンX
▲南房英彦「うんこの町のメリー」
(後の製本化されたものとは別物)
■「ゲロオチンX」で「啓蒙」でオルグした人たちがゲストとして寄稿していたことでもわかるように、この頃、私の知らないうちに(ハブられていた?)「KERO4」「秘密結社Q」「腸チフス」の交流が盛んになり、それで、自分たちで新しく同人誌を作ろうという機運となっていったようです。
私の方も、ちょっと考えることがあり「啓蒙天国通信」を誌面刷新することにします。
それまでの路線は「腸チフス」まで到達したことでその目的はほぼ達成した感じになりました。次の段階として、これまでオルグしてきたこの人たちをもっと多くの人に注目させ広い世界に売り出したい。それにはどうしたらいいか。
じゃあ、「啓蒙天国通信」を、マンガ同人を紹介する同人誌即売会向けの本という枠から飛びだして、インディーのロックやお笑いなどのサブカル、更には社会問題的なところまで扱うようなミニコミに刷新してしまおう、そして「啓蒙」を手段に、各方面に人脈と読者層を拡げ、新たな販路を開拓してやろう、そうしてマンガ同人誌即売会の外の世界の人間に認知と評判を得た上で、即売会に舞い戻ってやろうとか、まあそんな目論見がありました。
刷新した「啓蒙」9号は、ミニコミも置いてくれるレコードショップでも扱ってもらえるよう、他の音楽系ミニコミ同様にB5版でオフセット印刷にしました。そして巻頭に、当時の人気番組「イカすバンド天国」に出演したことで人気となっていたガールズバンド「マサ子さん」へのインタビューを持ってきました。
実は「マサ子さん」メンバーと本間雄二さんは旧知の仲で、私も本間さんに誘われて彼女らのデビューライブを観に行っていました。だから私の方も声をかけやすかったというところがありました。
ちょうどこの頃、世間は宮崎勤によるいわゆる東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件で騒然としていましたが、9号の中盤ではヒステリックな報道を皮肉って敢えて「私は見た恐怖のマンガ市場」とタイトルをつけ、89年の夏コミで、これまで「啓蒙」でピックアップしてきた同人の各サークルスペースに突撃インタビューする形で紹介。そして後半では事件のことをストレートに取り上げ、メディアによる安易なオタクバッシングを批判し、しかしこの事件を他人事のようにしてダンマリのオタクたちにも苦言を呈しました。
そんな感じの記事内容で作った「啓蒙」9号は「ディスクユニオン」や「新宿エジソン」などのレコードショップや、新宿御苑そばの小流通出版物取扱店「模索舎」などに委託販売してもらいました。そして、ミニコミとしてはまずまずの売り上げを達成します。出だしは良好です。
■私の「啓蒙」での活動と思惑とは全く別に、前述したように「KERO4」、「秘密結社Q」、「腸チフス」の3グループは急速に親交を深め、合同で同人誌を作る運びとなります。それが「ブロイラー」でした。
田上伸和さんの作成した小冊子「ブロイラー伝説」によると、初めのうちは皆さん意気込みが強く、その頃から季刊ベースで出すことを考えており、そのうち月刊誌や商業誌にすることなども夢として語っていたようです。
私的には、将来的にこの3グループが組んで何かやってくれること、それはまさに私が期待していたことであり、それが思っていたより早く実現したので、戸惑いはあったものの願ったりかなったりで、それは歓迎すべきことではありました。
が…出来てきた本は、正直、彼らの良さがイマイチ活かせてないように見えました。何と言うか、各描き手が売れることを意識してか変に気追い込んで肩に力が入り過ぎて表現が上滑り気味になっているというか。
それでも、これまで一生懸命プッシュしてきた人たちが作った本です、同人誌即売会で「啓蒙」と一緒に売ったり、「啓蒙」で開拓した販路を通して売ったりして販売の協力をしたいと思いました。その旨を伝えたところ「買い取りです」という話でしたので、多分キリのいいところで50冊程度購入させていただきました。
この創刊号が数十冊ほどまだ私の手元に残っています。これら、九州の即売会で「漫画の手帖」を買った人にオマケにプレゼントしちゃいましょうか
創刊号の発行が90年の1月で、その後、季刊の形で立て続けに発行されます。その個々の内容の評価はここでは控えておきます。
ちなみに、「ブロイラー」と同時期にほぼ同じメンバーで、ほとんどその場のノリだけで作られた「あにめ地獄」と「のいず天国」という本は、彼ら彼女らの持つ無邪気さがさく裂した馬鹿々々しさに貫かれており私的には高評価です。
■「ブロイラー」は90年12月に4号をもって終了します。
続いて91年8月には、「腸チフス」が10号「牛の糞」をもって活動を終了。
「腸チフス」の田上さんは足立守正氏と「ダリア」を結成、以後もしばらく同人誌即売会に参加を続けます。
新谷成唯さんは93年1月、西岡兄妹らと「シュジエ」を発行。私は正直なところこの本に苦手意識がありましたが(市場大介氏がね…)、いま読み直すと、編集の一貫性が見えて、本としての完成度は高い。新谷さんの「こういうキッチリとした編集の本が作りたかった」といった声が聞こえてきそうです。「ブロイラー」ではここらの路線の違いが編集によって上手いことさばけていなかったのかなあ…などと思ってみたり。
さて、こうして私が「啓蒙」を通してオルグしてきた人たちによる「ブロイラー」という爆弾はコミケという場に風穴をあけることが出来たか…というと、正直かなり苦しかったかなと思います。
ちなみに、「レモンピープル」89年2月号の、阿島俊(米澤嘉博氏の変名)によるコーナー「同人誌エトセトラ」のこの回は「同人誌〃変〃コレクション」と銘打ち、「秘密結社Q」の「怪坊主」や「突撃プロジェクト」の本、そして私の「啓蒙天国通信」と、その中で私がピックアップした作家や同人を紹介しています。もしかして米澤さん、「啓蒙」に触発されて記事書いたかな。いや米澤さん本来はこういうのが大好きだったんで、コミケにもこういったものを期待していたはず。
レモンピープル増刊のマンガ同人誌を紹介する季刊雑誌「DOーPE」90年1月発行の1号で「KERO4」本間さんの「さなだ虫」が紹介され、その中で「ブロイラー」の事も触れられています。
「DOーPE」90年6月発行の2号では「バトルインディーズ バンドブームの源流を探る」という4ページの記事が載り、その中で「啓蒙」9号が紹介され、後にブロイラーに参加する同人の名も連なって紹介されています。
そして90年9月の3号でやっと「ブロイラー」が紹介されます。
米澤さんをはじめ、マンガ同人誌即売会の可能性に期待していた人たちは、しかし多分、現実にあるコミケの肥大化に伴うマンネリ状態に問題意識を持っており、そんな中で「ブロイラー」は無視出来ない存在となり、紹介しないワケにはいかなかったのだと思います。ただ、カクメイいまだ成就せず。
■96年、「ダリア」から南房英彦さんの「うんこの町のメリー」が出されます。これはマンガ専門店の高岡書店などで委託販売され、あの呉智英センセイも読んで高評価を下しています。この作品は一部好事家からカルトな人気を得て、「まんだらけ」では現在3万円の買取価格がついていました。
その作者の南房さんは行方知れず、噂ではスペインに行ったとかいう話も聞きましたが、それも随分昔の話です。
田上伸和さんは今はもうこの世におらず…。
そうそう、田中宏文さんには「啓蒙」用に原稿をお願いして、返却する機会を逸したまま今日まできてしまいました。もしこれを読んでいたら返却したいので連絡下さい。つか、連絡先をご存知の方、是非ともお教え下さい。
そういや、さくらのみおさんも今どうしているんだろ?
■誌面刷新後の「啓蒙天国通信」の話の続き…関西方面に、後の「モダンチョキチョキズ」につながるサブカル人脈を作るとか、お笑い方面に食い込むとか、ナゴムレコードのケラさんとも接触するとか、「ガロ」に私のインタビュー記事が載るとか、まあ本当に色々あったのですが、それらの話は長くなるのでまだ別の機会に。
■私はいわゆる「表現の自由戦士」の皆さんらから何か「表現の自由」の敵扱いされているみたいなのですけども、私は「表現の自由」をもっと有効に活用することを目論んで今回書いたようなことをしてきたんですよね。何かをやってきたでもない人らから「表現の自由の敵」みたいなことを言われているかと思うと、流石に心外です。多少なりとも腹も立ちますよ。
いやもう面倒くさいんで、「俺は表現の自由のために戦ってきた」と豪語する人らは、「ブロイラー」に集まった人らに匹敵するくらいの強烈な才能を持ったクリエイターや作品を紹介して下さい。話はそれから。
なお、自称オタクなら、一般人でも知ってるような有名なのをドヤ顔で持ち出さないこと。それ全然オタクの手柄じゃないしね。
今回は古いサークルでもなく、パロディやファンジンでもなく、ましてやエロでもない、現役バリバリの同人サークルをとりあげさせてもらいます。
この『さくら研究室』はこの前の夏コミケ(C102)において新刊2種を発行しました。しかし、それぞれ28p、30Pで各五百円と、いくら全頁フルカラーだとしても、エロ同人誌でもレアなくらいにバカ高い、ボッタクリな同人誌です。そもそもこの内容でフルカラーにする必然性は全く無いと考えます。
実はこのサークルについては以前から、『社長の愛人が五千万円持ち逃げしました』(全百二十四頁全頁フルカラー頒価千円)を発行した頃(二〇一九年)から注目していたのですが、最近はますます調子に乗っているようで、ボッタクリ具合には拍車がかかっています。
そして内容についてなのですが、これは完全オリジナル、とは聞こえがいいですが、作者本人が述べているように日々の出来事を綴っただけの絵日記マンガでして、読んで得難い知見が得られるとか、賢くなるという書物とは程遠い内容です。
しかし、しかしです。ベラボウに面白いです。確かにコミティアのカタログにある作品紹介記事『プッシュ&レビュー』に2度掲載して話題になり、コミケでは壁際に配置されるのも当然かと思います。
先に紹介いたしました『愛人本』以外にも「家中をネズミが暴れまくって困ったので駆除した」話だとか、「糖尿病に罹った父親がインシュリン注射しなかった挙句、透析から逃げ出した」話とか、「会社のネットが止められた」話とか、「金タマを捻挫してヘンな液体が出た」話(人気作⁉ 五年目に突入‼ そして五年目にして語られる衝撃の真実‼ 「作者の○○はフレンチドレッシングではなく、××―×××××だった! そして作者はまたもや病院の門を叩くのであった! 『センセイ、私の○○、他の人のと違って××―×××××なんです』)とか、「その金タマ本が地上波のドラマに映った話」とか、さらには、やっぱり天は見過ごしはしないようで、『天網恢々疎にして漏らさず』の言葉通り、目を付けられ、「税務署がやって来た」話(現在進行中・三作目まで発行済)とか、いずれも非常に楽しい内容ばかりです。
また『炎の転校生』『逆境ナイン』で知られる、というかコミケでは『炎プロダクション』で名高い、島本和彦大先生の御乱行御乱入と、尊師からの非常に有り難い、有り得ない、有難迷惑なアドバイスなどもあり、この『さくら研究室』と作者(=サクラ氏)はこれからどうなるのか、どうなっちゃうのか、果たしてこれからも天誅天罰が下るのか、いつくだるのか、それが果たしてどのようなモノになっちゃうのか、益々目が離せません。
私は「チョーシコイている」「ボッタクリ」だと散々に述べてますが、サークルの方もそのことを自覚している様子で、缶バッジ2つを五百円で売っていた時に「コレはボッタクリです。それでも買うんですか⁉」と尋ねたりしていましたし、この『さくら研究室』にやってくる人へ対応も気持ちの良いもので、値段以外は悪い印象を持っていません。
このまま運営していっても、少なくともM鍋譲治氏の『スタジオか2丼』のようにはならないと思います。この『スタジオか2丼』にはその全盛期、発行している同人誌、M鍋譲治氏が描くエロパロ本目当てにやって来る凄まじい人混みと行列に、コミケスタッフが『スタジオか2丼』の人間に「混雑対応と列整理をしたいのでサークルから人員を出してもらえませんか?」とお願いしたのに対して「嫌じゃ」と断ったという武勇伝があるのですが、『さくら研究室』はそのような天を恐れぬ所業はしないと思います。(まったくの余談ですが、その後この『スタジオか2丼』は、しばらくしますと〝書類不備〟によりコミケから落選通知が2回連続で来ました。桑原桑原。今はコミケでは蔭際ではなく、島中に逼塞、もとい配置されてすっかり落ちぶれて、イヤイヤ、落ち着いています。ふう)
最初に述べました通り、この『さくら研究室』発行の同人誌の値段は高いですので、コミティアの読書会に行くとか、東京近郊にお住いの方ならば、国会図書館に行けば、お試しということで『金タマ本』『親父が透析から逃げた本』『税務署』などは有りまして、読むことができます。(二〇二三年一一月現在。国会図書館に収納され(てしまっ)た後の顛末についてはこの「さくら研究室」発行の同人誌に載っています)
さあ、皆さん、こぞって国会図書館に行き、「『さくら研究室』の『金タマ本』その他はどこにありますか? 読ませてください」と受付嬢に大声で頼みましょう! そして返却時には「『さくら研究室』の他の本はないのですか⁉ 『愛人本』や『ネズミ本』などが発行されているハズです」と大声でわめいて尋ねましょう。何人かがその行為をすれば、ソコはそれ、ワタシタチが世界に誇るニッポンの国会図書館の優秀きわまりない職員のコトです、必ずや職員の誰かが発行人(=作者)に問い合わせしてくれるに違いありません。そうすれば、きっと作者も血の涙を滂沱と流し、何だかヘンな液体をチビりながら、「新しいネタが出来た」と喜んでくれるに違いないと確信しています。
トコロデ、『さくら研究室』より、国会図書館に収納されている発行本が少ない『漫画の手帖』の発行人のF氏、そろそろ頒価の値上げをしませんか? 私の記憶によればここ三十年近くずっと頒価百五十円のままですし、私はこの十年近く「値段を上げて、『漫画の手帖』の存続をより確かなモノにしましょうよ」とお願いしているんですがねぇ。