今回は労働者の喜びを描く映画について語ろうと思っていたが、とてもそんな雰囲気じゃなくなった。
コロナの次は世界中で異常気象。熱波で人がバタバタと倒れていく。私も熱中症で救急車に二回乗った。世界大戦の危機も迫っている。彼方より日本にも闇が迫りつつある。
いや、すでに闇に覆われているようだ。真面目に働いても給料は上がらない。男は闇バイトで人生を終了させ、女はこんな世の中で子供を産むのを拒否する。
信頼できるリーダーを無くして日本は右にふらふら左にふらふら。まさに「右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」だ。
今回は闇の心を描く映画を紹介する。と言ってもサイコな殺人鬼の話ではない。そこら辺の人間がいかにして闇に引き寄せられるか、それを描いた作品だ。
〇『ブレイキング・バッド』(2008~2013)--米TVシリーズ。一話47分。全62話。
真面目な男が突然今までの人生に疑問を持ち「悪」に目覚めるという、所謂「中年の危機」を描く傑作。
物語は--、
【50才の高校教師ホワイト先生は肺癌になって余命2年足らずと知らされる。普通なら、これからは自分の好きなことをやろう、自分を支配する妻とも離婚しようと考えるが、彼には脳性麻痺の息子と、あと数カ月で生まれてくる娘が妻のお腹の中にいた。
真面目な彼は何とか家族のために金を残してやろうとするのだが、プライド高くて他人に頼ることが出来ない。そこで化学の知識を生かして最高の麻薬を作り上げる。純度の高い麻薬は大人気で大儲け。彼はこの闇バイトを家族に気づかれないよう嘘を嘘で塗り固めていく。それはもちろん家族を守るためなのだが、その結果、家族の信頼を無くし友人も去り、彼自身の人格にも変化が出始める・・・】
「お願いだから本当のこと話して!」と妻に迫られても、まさか「麻薬を作って売ってます。売人に脅されたので二人を殺して死体を薬品で溶かしてトイレに流しました」とは口が裂けても言えない。なにしろ妻の弟は麻薬捜査官なのだから。ホワイト先生はもはや引き返せない。麻薬王ハイゼンベルクとなって稼ぎまくるしかないのだ。
面白いのは妻に嘘をついて自分の時間――それは麻薬を作って悪事を重ねる時間なのだが――を持つようになってから、彼は精神的にも肉体的にもベッドの中でも元気になり、自信過剰の自己中男になって行く。しかも癌まで治ったりする。また、麻薬を作る相棒のジェシー(二十歳そこそこのアホ)とは衝突を繰り返し罵倒し合って、本当の息子よりも心を許しあう。家族のためにと言いながらも彼は心の奥では身障者の息子を疎ましく思っていたのだろう。
最初はピカレスク・ロマン物かと思ったが、妻から逃げることも後戻りも出来ず、毎回墓穴を掘りまくるブラックコメディ―物としても楽しめる。
ただ米TVドラマの悪い点は人気が出たら果てしなく続編を作ることだ。シリーズ後半では、名乗っただけでチンピラが裸足で逃げだすほどの麻薬王となるが、相変わらず墓穴掘っては「つづく!」で引く。ファイナルシーズンまで同じことの繰り返しだが、このドラマは中毒性があり一気に全話観てしまう。
同じく米TVドラマ版の『ウエストワールド』(2016~22)も人間の攻撃性や残虐性を描く傑作だったが、不特定多数を相手にせずにターゲットを絞って契約配信するだけでTVドラマはこんなに面白いものが作れるのだな。
危機に陥るのは中年だけではない。闇は少年にも襲い掛かる。
なんぼ闇に覆われた日本でも、ちょいと美味しいものがコンビニレベルで手に入ってストレス解消できるのだが、北欧ではそうはいかない。パンもチーズも固くてパサパサ。メインは果てしなくジャガイモとシャケ。夏でもミゾレが降るほど寒いし暗い。50年前の研修旅行だが、もう懲りた。
おまけに子供が喜びそうなキャラ物がまるで生産されてない。ムンクの「叫び」ポスターしか土産物が無い状態を何とかしろ。長い冬に日本のアニメにハマる北欧女子が多いのも納得できる。
○『ぼくのエリ 200歳の少女』(2008/トーマス・アルフレッドソン)――スウェーデン映画。115分。
何でこんな邦題を付けたのか?そもそも少女でもないし200歳でもない。TSUTAYAではラブストーリーの棚に置いてあったりするが、ジャンルは「吸血鬼もの」。描かれているのは思春期の少年の「負」の心だ。
物語は--、
【いじめられっ子の少年オスカーのアパートの隣に少女エリが引っ越してくる。同時に多発する猟奇殺人。オスカーとエリは互いに魅かれあい唯一心を許せる友達になった。だがエリは人を喰らって生き続ける吸血鬼だった・・・】
少年の孤独な魂を描く傑作。そもそも吸血鬼と知り合ったら喰われるか仲間になるかのどちらかしかない。満たされない心は「人を喰らう闇」に魅かれていく。
全篇冷え冷えとした雪の中、心理描写は映像で見せていく。オスカーの父親を描くシーンなど、セリフで語らずとも1分ほどのワンシーンのみで離婚の理由や、オスカーが自分の未来に失望し父親に見切りを付ける決意が表されている。
オスカーは血まみれのエリと共に闇の世界で生きることになる。将来はエリの世話係であった初老の男のように、エリのために血を採ってくるのだろう。それがオスカーの生きる道だ。
大傑作の吸血鬼ものだが、残念ながらDVDではエリの正体を表す最も肝心の部分にボカシが入っている。フィルムセンターでも上映されたが、やはり日本国内での上映はボカシが入っている。肝心のカットはネット内で見るしかない。
人は心を慰めるものが必要だ。愛情のはけ口や時には逃避も必要だ。しかし問題を自力で解決できないとき、人は自分を導いてくれる大きなものに頼ってしまう。それが闇であっても。
〇『帰ってきたヒトラー』(2015)--監督・脚本:デヴィット・ヴェント。原作:「帰ってきたヒトラー」。116分。独映画。
政治物の傑作。今まで見てきたヒトラー物は彼をイカレた独裁者として描いてきたが、この作品は祖国を憂う政治家として描いている。
ドイツで「我が闘争」は発禁なのに、この原作本はOKなのか?どういう基準か知らないが、とにかく原作本はドイツ国内で250万部も売れた。映画化されて、これまたヒットした。
世の中は御立派な正義で溢れている。「戦争反対」「サベツ反対」は正論だが、人々はもう「お利口さん」の世界にも「お利口さん」を演じるのも疲れてきた。そんなときに出るべくして出た作品が、これだ。
物語は--、
【ヒトラー最期の日、総統閣下は1945年の地下壕から2014年にタイムスリップした。閣下はすぐに事態を把握し、これを天命だと受け取る。
一方、フリーのTVマンであるザヴァッキは総統閣下を〈ヒトラーのそっくりさん〉と思い込み、TVのお笑い番組に売り込んだ。
ヒトラー総統は生放送で観客を見据え演説する。子供の貧困、老人の貧困、若者の失業、少子化、移民の流入、我が国は奈落に向かって落ちようとしているのにTVは奈落を見ようともせず料理番組とバラエティーばかり放映している。こんな国で誰が子供を産みたいか!?--と。人々が怖くて言えなかったことを全部ヒトラーが代弁してくれた。
そのドイツを憂う生演説に視聴者は釘付けになった。 大成功で視聴率大アップ!YouTubeでも大ウケ!ヒトラー総統は〈TVヒトラー〉として一躍有名人となった。閣下の執筆した本「帰ってきたヒトラー」は飛ぶように売れ、映画製作も開始された。しかしザヴァッキは総統が〈そっくりさん〉ではなく本物だと気づいてしまう・・・】
ドラマ部分だけではなく、街中の一般ドイツ人にもインタビューするドキュメンタリー風な味付けになっている。その一般人とヒトラー総統との生の会話がもう・・・ヤバイ。
・移民たちはルールを守らない。批判すると「差別主義者」の烙印を押される。
・移民の子供の悪さを注意すると親に刺される。怖くて何も言えない。
・出て行ってもらいたいがこの国で生まれた子供たちもいる。
・アフリカ系はIQが40以下。ドイツ人のIQも低くなってきている。
・下等な労働力として、やはり移民は必要。
・混血すれば変なものしか生まれない。純血種は永遠に失われる。
・子供たちは戦後教育にウンザリしている。
等々・・・ よくも原作者と映画監督が殺されなかったもんだと感心する。
この作品が日本で公開されたとき、いまだミサイルは日本に向かって飛んできていなかった。移民問題も対岸の火事だった。しかし、もはや対岸の火事ではない。10年前のドイツは今現在の日本だ。しかも日本政府はこのさき移民を毎年何十万人も受け入れようとしている。
チャップリンはヒトラーを「独裁者」と呼んだが、帰ってきたヒトラーは言う、「自分は合法的な選挙で選ばれたのだ」と。「ドイツ国民は心の声を明確に言葉にして発してくれる者をリーダーに選んだのだ」と。それが民主主義だと。
民主主義とは何か、民族の誇りとは何か?「闇」として忌み嫌われた者が突然「希望の光」となるとは。
混迷の時代にはでかい一発が必要だ。フェリーニの『オーケストラ・リハーサル』(1979)のように、楽団員各自が自分こそが優遇されるべきだと主張し始めて統率が取れなくなったとき、唐突に巨大な鉄球がオーケストラの部屋をぶち壊す。非日常の出来事の中、とたんにオーケストラは一致団結してハーモニーを醸し出す。
70年代にも人々は「でかい一発」が来るぞと思っていた。もう半世紀も人々は「でかい一発」を待ち続けている。それが光なのか闇なのか、分からない。どっちでもいいからさっさと来てくれと。
映画はいろんなことを教えてくれる。
(了)
●七月十七日 この日の昼間は、確かに妻は元気であった。ところが、夜になると冷蔵庫の前で蹲り呻きだした。「たてない」と言う。そこで、何とか立たせてやろうと努力して悪戦苦闘する。が、どうしても立たない。三十分程抱え上げようとも、駄目である。仕方なく諦めて、明日の朝は元気に起き出すだろうと眠ることにする。これが、誤りであった。
●七月十八日 妻が起き出さないので、流石に心配になって救急車を呼ぶ。 やって来た救急隊員は、妻を看るなり死亡宣告をする。私は、ただ呆然とする。
警察が呼ばれ事情徴収をされる。
私は、どうしたらいいか分らない。
妻の遺体は、運ばれていってしまう。
冷静に戻った私は、妻の実家に事情説明の電話をする。
●七月二十三日 霊安室いる妻と、対面する。話しかける。答えは無い。私は、ただ呆然としたままで涙一つも出ない。取りあえず経を読む。
●七月二十四日 妻の葬儀。火葬炉の前で経を読む。骨上げをするが実感は無く、やはり涙は出ない。
●妻の居ない部屋に一人でいると、ただ虚しさだけが広がる。妻が死んだという実感はなく、空虚感だけがある。おいおい泣いても不思議が無いのに、涙一つ出ないのだ。
『私が先に死んだら、゜どうするの』かって妻に問われた事がある。
「何も食べずに、野垂れ死にするよ」と答えた。
しかし、相変わらず食欲は有るし、死ねる気配は無い。近くの踏切を見ると、飛び込みたい思いもするが踏み切れない。
●妻は可憐である。ちょっとふとりすぎたとか、シミや皺が増えたとか、白髪が増えたとかは関係ない。妻は出会った時のままの可愛い君である。私は妻を心の底から愛している。妻も、私を愛してくれた。何処に出しても恥ずかしくない仲良しカップルである。
それが引き離されるなんて、考えられない。なんかの間違いに決まっている。
蛭児神さんの奥様には、かつて何度か同人誌即売会でお会いしております。突然のご逝去に心よりご冥福をお祈りいたします。
漫画の手帖編集F
■取りあえず前回の続きを邦画から。
1月末からアニメーション作家・山村浩二の初長編『幾多の北』(64分、2021)を含む『「幾多の北」と三つの短編』が巡回公開。東日本大震災後の不安が滲む形而上的な作品。総計90分。
■2月公開の立川譲監督作『BLUE GIANT』は圧巻のジャズシーンが広く一般層にも浸透、ロングヒットとなった。
■3月公開の『らくだい魔女フウカと闇の魔女』は人気児童書が原作でプロダクションI.G制作の良心作。敵役を滅ぼすのでなく癒し赦す結末に『セラムン』的なものを感じる。
■その本家『劇場版美少女戦士セーラームーンCosmos』は武内直子のコミック版を元にしたシリーズ最終章前後編を5月から連続公開。正直よく出来た映画とは言い難いが最後の戦士、北川景子が声を演じるセーラーコスモスの美麗さに魅かれる。
■異才・坂本サクがほぼ単独で作り上げた『アムリタの饗宴』は前作『アラーニェの虫籠』の前日譚。5月公開。私は未見だが、こうした異色作に公開の途があるのが尊い。
■6月公開の『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』は好評を博したTVシリーズの劇場版。特異な設定に思春期の切実さが滲む。
■7月には『おそ松さん』がまたも新作映画公開で驚いた。ニーズは続いていたのか。もはや定番入りか。
■定番といえば『名探偵コナン』『アンパンマン』『ドラえもん』等が順調に新作を送り出す中で新たな挑戦をしたのが『クレヨンしんちゃん』で、従来のGWから変わって夏休み公開の『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦~とべとべ手巻き寿司~』は初の全編3DCG作の長編。脚本・監督は大根仁、実制作は白組、闇落ちするフリーター非理谷充(ヒリヤミツル=非リア充)の声を松坂桃李。3DCGの出来は舞台の立体感やカンタムロボの巨大感は良いが人間の動きに難があり、手描きしんちゃんの魅力を再確認。
しんちゃん映画の基本は押さえているが、終わり方に疑問。改心してもこれではヒリヤは犯罪者のまま。社会の底辺に居ざるを得ない存在を精神論的に励まして終わる、イジメという理不尽な暴力に結局力で立ち向かって撃退、これでいいのか。なお、来年はまた2Dに戻るそうだ。
■さて、今年一番の注目作といって良いか、長編引退宣言を撤回した宮﨑駿が十年ぶりに挑む新作『君たちはどう生きるか』は7月14日公開(﨑の字は立つさき)。公開前には謎のポスター一枚だけで何の宣伝もせず、パンフレットすら後日発売という鈴木プロデューサーの策が話題を呼び、公開後には賛否が真っ二つに割れた観客の反応が更に話題となった。
私はとてもわくわくと観た。宮﨑駿の全てを込めた映画。英国文学を下敷きに、吉野源三郎の同題の児童小説を取り込んだ王道の「往きて還りし物語」を骨格に、自らの人生と東映動画からの作品群と関わった人々を散りばめて、自由奔放に編み上げた124分。その若々しさ。日本有数のスタッフが結集しておそらく最後の長編映画となるだろう巨匠の類まれな発想を実現していく、その様の美しさ。映画は我々にバトンを渡す。自分はこう生きた、君たちはどう生きるか、と。が、決して突き放さない。どんな時代が来ても世界は生きるに値する、そう信じている映画だから。
webサイトnoteに長いレビューを書いたので、よろしければ。
https://note.com/gomiyouko/n/n545aa5796857
■8月には鳥山明原作の3DCG映画化『SAND LAND』が公開だが一部に熱狂的なファンを生むも客入りは芳しくなく、原作者自らが異例の直筆メッセージを出す事態に。予告編からあまりそそる内容ではなかったが、興行とは難しい。制作はサンライズ+神風動画+ANIMAで配給は東宝。
■8月には京アニの新作劇場版『特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~』も公開。57分の中編だが、不幸な事件を乗り越える力に心打たれる。社員も当時よりも増したそうだ。
■海外作品については、このところずっと書いているような気がするが、状況は本当に変化した。長く日本での興業の中心だったディズニー&ピクサーに加え、中国作品が一角をおびやかす位置まで登りつつある。
D&P社の作品的な弱さ(予算をかけ社会的なテーマにもチャレンジしているが『ミラベルと魔法だらけの家』『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』等、肝心な作品に面白みが薄い)の一方、『私ときどきレッサーパンダ』など受けそうな作品を劇場公開せず配信に回してしまう、或いは公開後すぐに配信開始する、など興行側の不信を招くやり方は大いに問題だ。
■その中国作品は5月公開の3DCG長編『雄獅(ライオン)少年 少年と空に舞う獅子』吹き替え版がヒット。王道の成長物語を予算としっかりした技術をかけて描き、上り調子の中国アニメ界の熱さをそのまま伝える。先行する『羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来』同様に実力派声優の吹き替えも好評。相変わらずタレント頼みのD&P社との差違も明らかだ。
4月には中国映画の上映イベント・電影祭で中国の古書に材を取った長編『山海経 霊獣図鑑』を上映、6月には同じ電影祭で上映済みの『兵馬俑の城』の吹き替え版が全国公開された。本国では既に『羅小黒戦記』や『雄獅少年』の続編制作が発表され、これも日本公開が好評を得た『白蛇:縁起』の新章の公開も予定されている。国家が本腰を入れてアニメ制作に注力している様子も伝わり、彼我の違いを痛感。
■これ以外にも従来なら劇場公開はされなかっただろうタイプの作品の一般公開も目立つ。観る側も興行側もアニメだからという色眼鏡が外れたのだろう。喜ばしいことだ。
とはいえ前述の『兵馬俑の城』、後述の『マルセル』等、パンフレットが欲しいのに作られないケースが増えているのは新たな問題。こちらも進展して欲しい。
■6月にはフランスの佳品『プチ・ニコラ パリがくれた幸せ』、アメリカのインディペンデントな小品『マルセル 靴をはいた小さな貝』が公開された。
『プチ・ニコラ』はフランスの国民的児童書『プチ・ニコラ』を生み出した二人の男、サンペとゴシニの創作活動と長年の友情を縦軸に、愛すべきニコラ坊やの活躍を水彩風の美しきパリの四季の中に描いて心洗われる作品。アヌシー映画祭で最高賞。
『マルセル』はSNS発信の動画を発端に長編化。言葉を話す小さな巻貝の少年マルセルを主人公に、実写とストップモーションを組み合わせたモキュメンタリー(疑似ドキュメンタリー)作品。脚本・監督のディーン・フライシャー・キャンプは本人役で出演もしている。家族を巡るマルセルの物語は哲学的でもあり心に沁みる。アカデミー長編アニメ賞にもノミネート。
■7月にはフランスの巨匠ミッシェル・オスロ監督の新作長編『古の王子と3つの花』が公開。オムニバス形式で、ルーブル美術館の為に作られた古代エジプトの様式美あふれる作品、中世フランスが舞台の影絵風作品、トルコが舞台の絢爛たる作品と、いずれも3DCGによる3作を語り部が紡ぐ。目も絢な色彩と優雅なアニメート、含蓄あるストーリーと、正に動く芸術品。オスロ監督は既に新作を準備中と80歳を越えたとは思えぬ活躍ぶりに圧倒される。
■同じ7月にはオランダのストップモーション長編『愛しのクノール』も公開。キーパーソンのクセ強おじいちゃんの声を泉谷しげるが担当。ちょっと前なら考えられない配役。オランダの人形アニメが映画館にかかるのも考えられなかったところだ。子供大喜びのお下劣さが楽しく、Eテレで放送などして欲しい。
■考えられないといえば8月から公開中のチリの人形主体ハイブリッド長編『オオカミの家』で、東京での上映が配給元も驚く連日満席。移民のコロニーに着想を得たという不穏な内容で予告編から禍々しさが伝わるカルト作。『ミッドサマー』のアリ・アスター監督激賞の触れ込みも大いに働いたろうが、世の中は分からない。レオン&コシーニャ監督の同趣向の短編『骨』(昨夏の広島アニメーションシーズンで上映済み)を併映。
■ミニマムからマクロに話題を戻してマーベル&ソニー他のアニメ映画版『スパイダーマン』の続編『アクロス・ザ・スパイダーバース』は6月の公開。前作を上回る目くるめくアーティスティックな画面が展開。前作同様に信頼の座組なので実はセカイ系なストーリーも安定して観られ、三部作完結編の次作に期待を継続。
■D&Pの最新作は8月公開の『マイ・エレメント』。飽きるほど見せられた予告編からのポリコレ的スペクタクルな予想とは違う小さな物語。ヒロインの属する火のエレメントは中華系移民のメタファー。社会的階層があるなどポリコレ要素もあるが、監督の体験を反映したという身近な家族の物語は観客の支持を得てヒット。火や水の3DCG表現もさすがだ。
同時上映は『カールじいさんの空飛ぶ家』(2009年)の時を隔てたスピンオフ短編『カールじいさんのデート』で、主役の声優エドワード・アズナー(2021年逝去)の吹き替えが飯塚昭三の遺作となったのも感慨深い。
■12月に予定されるディズニー百周年記念作『ウィッシュ』は予告編からだとスタンダードな作品に思えるが、さて。
百周年を記念して日本のTVでも様々な特集番組が組まれ、ディズニー本社のアーカイブ等が見られたのは貴重。日本でもアーカイブ活動が動き出しているが、この試みが未来へ通じることを願う。
■イルミネーション+ユニバーサル+任天堂という邦洋の海を越えた座組は『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』で4月公開。マリオのゲームをそのまま生かした世界観で展開する究極のファンムービー。大人がまともに相手する映画ではないとの声も映画評論家から出るほどの、ただ単に面白い映画。が、そこがいい。思えば漫画映画も怪獣映画もずっとそういう扱いを受けていたのだ。これは我々の映画。ゲームを超越し、自ら先頭に立って戦うピーチ姫の無類のカッコよさもまた格別。ノスタルジーに溺れず、きちんと今の映画になっている。
■特撮系では3月に劇場公開した庵野監督作『シン・仮面ライダー』が7月に早くもアマゾンプライムで配信開始。劇場ではPG12の残虐性に撃沈した私もPC越しの小さい画面で血飛沫に耐えて2度鑑賞。劇場では何をやっているか分からないと言われたトンネル内の戦闘も明るく見え、理解は高まったが面白いかはまた別もの。まあ、庵野秀明究極のプライベートフィルムなのでとやかくは言うまい。NHKのディスリスペクトなドキュメンタリーを鵜呑みにする向きには反論したいが。
■8月の「午前十時の映画祭」に満を持して『地球防衛軍』4Kリマスターが登場。『ラドン』同様に全然午前十時ではない早朝(一部では八時二十分)開始にもめげずシネコンへ。フィルムの粒状感の残る仕上がりの綺麗でパノラミックな画面と伊福部昭のマーチ&重低音が響き渡る最高の環境に酔いしれた。白眉は東宝特撮初の巨大ロボ・モゲラの金属ボディの鈍い光沢。モゲラには終盤でもうひと暴れして欲しかった。
■その東宝は満を持して新作『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』製作を発表。監督は『三丁目の夕日』にゴジラを出し、西武園のアトラク『ゴジラ・ザ・ライド』でも実績のある山崎貴、公開は11月。特報のゴジラは威圧感があるが、さて、どちらに転ぶか。
■展示では、ジブリ美術館で行われた『未来少年コナン』展の特別企画で全国から集合したコナンファンを前に、『君たちはどう生きるか』の作画監督・本田雄らアニメ業界のプロになったかつてのファンたちが思いを語る「熱きコナンファンよ、集え!」、巡回の『鈴木敏夫とジブリ展』などを楽しんだ。
■映画祭は3月に恒例の東京アニメアワード(TAAF)と、新設で押井守が審査委員長に立った長編主体の新潟国際アニメーション映画祭(NIAF)が開催。長くなるので詳細は省くがどちらも堪能した。東京で観た『犬とイタリア人お断り』、新潟の『オパール』『ネズミたちは天国にいる』、村上春樹の短編を元にしたフランス他の長編『めくらやなぎと眠る女』等、非常に有難い出会いの場だった。新潟は運営の手際にも感服、長く続いて欲しい。
■TVアニメに目を移せば、春夏通して落ち着いた印象。
注目は4月開始の『推しの子』か。第1話84分を3月に劇場先行公開、特大の星が輝く瞳など気合の入った表現と意表を突くストーリー展開を見せつけた。YOASOBIが歌う主題歌『アイドル』も全世界を席捲。
■『王様ランキング 勇気の宝箱』は原作の未映像化エピソードで構成。本命はこの後に控える劇場版だろう。
■私的な春期の代表は『山田くんとLv99の恋をする』。監督は『CCさくら』の浅香守生。少女マンガ特有の空気感の出し方が絶妙できゅんきゅんさせる。マッドハウスの絵作りも安定。
■『事情を知らない転校生がグイグイくる。』は小学校を舞台に死神とあだ名され、クラスでシカトされる少女と、転校生のポジティブ少年の交流がほのぼのと泣ける。実際は深刻な状況にも笑える空気を生み出す太陽くんの真っすぐな声を嫌味なく演じた石上静香もいい。
■高校が舞台の軽やか学園もの『スキップとローファー』はP.A.WORKSらしい良心的な作りだがキャラの多さ故か終盤の畳み方がやや駆け足になったのが惜しい。女性で固めたメインスタッフにも注目。
■東京・月島の神社を舞台に御祭神に祀られたエルフと女子高生巫女との緩やかライフを愛でる『江戸前エルフ』はもうひと味あればというところ。
■『機動戦士ガンダム 水星の魔女』は2期が、『鬼滅の刃』は『刀鍛冶の里編』が順調に開始。『水星の魔女』は1期同様に最終回が物議を醸した。
■MAPPAの『地獄楽』とI.Gの『天国大魔境』はシーズンに1組はある紛らわしいタイトル。ハードな世界観もタイトル通り。
■NHKではネトフリ配信済みの『TIGER&BUNNY2』をスーツの企業ロゴが無いNHKオリジナル版として放送。あれはあれでアイデンティティなので、無いと微妙に落ち着かなかったりする。
■7月期は『呪術廻戦』『無職転生Ⅱ』『BLEACH』『死神坊ちゃんと黒メイド』『はたらく魔王さま!!』『ホリミヤ』『シュガーアップル・フェアリーテイル』等々続編が目立ち、それぞれに力を発揮。
■『彼女、お借りします』の3期には「おしり枠」として5分の『いきものさん』が付く。アニメ作家・和田淳の作で、和田の『マイエクササイズ』の少年と犬が出演。もちもち質感はTVでも不変。制作はニューディアーだが製作が東映アニメーションなのが驚き。以前もシンエイ動画がアニメ作家・見里朝希の『PUIPUIモルカー』を作ったりと、アニメ界の地盤で何かが起こっている。
■ショートアニメなら荒川弘のコミックエッセイが原作の『百姓貴族』も。田村睦心×千葉繁の掛け合いが楽しく、5分番組なのがもったいない。
■中国発の『フェ~レンザイ 神さまの日常』は昨秋の『万聖街』と同じフォーマットのショートアニメの集合体。キャラが立って個々のエピソードも面白いが中国発は何故この形式なのだろう。
■『るろうに剣心』は実写映画などを挟み、時を経てのリメイクだが絵に力を感じず残念。『スプリガン』も98年の劇場版以来の再アニメ化。NHKの『ハートカクテル』は動くイラスト寄りだが3月に春編、7月に夏編を放送で86年の民放放送以来のアニメ化。このスパンは企画製作側が一周した表われか。
■異世界転生ものは今期も大量。バリエーションも尽きてきたか、自販機に転生する『自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う』は変化球の極み。この設定でどう展開するのだろうと思えば、主人公に人気声優の福山潤を起用、自販機のセールスボイスだけでも聴き応えがあり、背負われて他力移動も可能と意外と見られる。
一方、『幻日のヨハネ』は人気シリーズ『ラブライブ!』のキャラを使った公式スピンオフ。沼津市をモデルにした異世界ヌマヅが舞台。
■今期の注目は絵に力がある『アンデッドガール・マーダーファルス』。現時点でまだ放送中なので何とも言えないが、小中千昭脚本でルパン、ホームズ、ガニマールらが一堂に会してさながら制作会社の違う『ルパン三世』的騒動を繰り広げる連続回など面白く、実力派が揃った声優陣も満足感がある。
■実写映画配信も同時期の『ゾン100 ゾンビになるまでにしたい100のこと』は主人公が務めるブラック企業をモノクロで、ゾンビが蔓延する外界をカラフルに描いて新味を見せた。
■学園もの『好きな子がめがねを忘れた』と日常系ファンタジー『デキる猫は今日も憂鬱』の2本はGoHandsの制作。どちらも独特な(かなり描きにくい)カメラアングルや、室内に舞う埃まで表現するという、執拗なほどハイカロリーな作風が共通。正直、前者はともかく、4コマ漫画原作で直立歩行の巨大猫がOLご主人様の世話をするという後者をここまで手間をかけてリアルに描く必要があるかという気もするが、これが社風というものか。
■近未来SF『AIの遺伝子』はマッドハウス制作だが実作画はほぼ中国。絵コンテにしばしば川尻善昭が参加している。
■特撮は新作『ウルトラマンブレーザー』が快調。隊長が変身、何を仕出かすか分からないケダモノじみたウルトラマンと話題性も十分。これを書いている翌週はガラモン登場だ。
■プラモ作りを通したドラマ『量産型リコ』は第2期、朝ドラ『らんまん』も好調(この時勢に日本統治時代の台湾を出すとは胆の据わり方が半端ない)。日曜夜のお楽しみ、仏製ミステリードラマ『アストリッドとラファエル』はシーズン3。アストリッドの吹き替え貫地谷しほりがいい。BSの『あまちゃん』再放送も楽しく回を重ねたが、ついに来週は「3.11」が来る。
■今期も訃報は止まず、8月には宮崎監督作をはじめ日本のアニメ美術界を支えた重鎮の一人、山本二三氏が逝去された。享年70はまだまだで心からお悔やみ申し上げたい。
■長く暑い夏もようやく峠が見えたが、コロナは人知れず蔓延。今までになく知人の感染を聞く。明日が見えない。 (2023年9月)
グラニュー、小杉です。まだまだ暑い頃にこれを書いております。夏コミケ、お疲れさまでした。夏は自分の本とくだん書房の本のお手伝いをしましたよ。今回のくだん書房の本はみなもと太郎、後藤静香夫婦の短編マンガと後藤静香エッセイの3冊セット。クリアファイル付です。本はクリアファイルに合わせるためにほんのすこーし、2.3mmサイズが小さい。気がついてくださった方はいるかしら。みなもと先生の漫画も同人誌に発表された若干手に取りづらいものだけれど、後藤先生の漫画はほんとうに数少なく、印刷物として手に取れることがとてもウレシイ私です。なにしろ後藤静香といえば、私にとって伝説の存在。有名少女漫画家の初期アシスタントだった?いや同級生?作画グループ会誌で美麗なイラストを披露するも紹介コメントもなく、みなもと太郎の妻として少女漫画執筆時の作品はほぼ合作で作品を作っていたこともある?また、みなもと名義での商業イラストも存在する?などなど、後藤静香の名は様々に彩られていて、さながら遠い国に存在する瀟洒な白い城のようなのです。
コロナ下、何度かみなもと先生宅にお邪魔する機会があった。声はかすれているものの一見お元気そうに見えたみなもと先生の訃報は未だに信じられないところがある。ドアをノックすると大抵奥様が応答してくださるがお話好きのみなもと先生を熟知しておられるのか同席なさらず、この頃はほとんどお話していない。くだんさんは以前後藤先生に熱烈なファンレターを送りカラー作品の復刻を行った。第二弾のつもりがあったらしく、今回発刊の「少年の時」もかなり前からスキャン原稿を見せてもらっていた。作画グループ発行の「風のささやき」に比べてメインキャラが幼く、絵柄も可愛らしい。少し初期の小室しげ子に似ているか?いや、布のドレープ具合はあすなひろし?などと想像し、影響を伺ってみたが「この頃の絵は自分らしくなくて、特に誰に影響を受けたというほどの個性では無いです。後々は海外のイラストに影響を受けてますよ。」とおっしゃっておられた。いやいや、当時としては抜群にうまいし素敵なんですが。
今回ページが一枚余るのでエッセイを依頼したが、「予想外に長くなってしまった」とのことだったので、8ページの別刷り冊子にしてみた(くだんさんが)。内容は少女の頃の思い出話とみなもと先生との出会いがえがかれている。後藤静香というお城の門が開いて、そっと庭園を見せてくださっているような素晴らしい内容だった。学友の少女漫画との交流のきっかけ、自身の感動から起こした大胆なアクション、そしてみなもと先生との出会いの根底が「人間が本来わかり合えない孤独」だという視線のドラマチックさに後藤漫画の真髄を見る思いです。エッセイを読んでズーズーしくも、「いつの投稿作で賞をもらっているのですか?」「聖悠紀先生が手伝った作品は?」「作画グループどの関わりは?」と矢継ぎ早にいくつかの質問を投げてしまった。全て朗らかに答えてくださり「そうよね、そのあたりも書いておきたいわ」と微笑む後藤先生。お城の部屋に日が差していくような気持ち。ああ、先生。エッセイももちろん漫画作品も新作を是非にとお待ちする次第です。
後藤先生のエッセイ中にあった「マーガレット投稿作」に気が付いていたという作家様にいろいろ伺えたのですが何しろ昔のことなので詳細はあまりわかりませんでした。がっかり。代わりに「後藤さんがアシやってらした頃欄外に「静香の部屋」みたいなのを少しの間続けた」との情報を頂き70年のりぼんをあさってみましたが在庫分だけでは残念ながら詳細はわからず。再びがっかりです。りぼんの作者コメントによると70年6月号コメントで「友人と暮らし始めた」
11月号には「静香ちゃんが○○(もとから伏字)するのでアシスタントがいなくなります」とのこと。お、思わぬスピード感!
読者欄のカットを後藤先生が担当している情報も別所からありましたが記名確認できたのは1カットだけでした。
まだまだ堀りがいがありそうなので頑張ります。
スパイダーマンは若いのに限る。
つくづくそう思います。
二〇二三年のスーパーヒーローもののアメリカン・コミック邦訳の話題として、これまでの「スパイダーマン」の中で最大の黒歴史と言われる『スパイダーマン:クローン・サーガ』の出版がありました(二〇二三年小学館集英社プロダクション)。
むちゃ長く続いたこのストーリーラインは、駄作?として定評のある作品ではあります。これ原著は一九九四年から一九九六年にかけての発行で、すでに三十年近く前の作品です。スパイダーマンの誕生が今から六十年前の一九六二年ですから、ちょうど中間点あたり。
この時期のピーター・パーカーの年齢は二十代なかば。メリー・ジェーン・ワトソンとすでに結婚していて、MJ妊娠、というエピソードもあります。
で、原著が二〇一六年の『スパイダーマン:クローン・コンスピラシー』という作品があります。『クローン・サーガ』に登場したキャラクターも再登場します。
『クローン・サーガ』から二十年後のこの作品では、ピーターはやっぱり二十代なかば。MJとは友人(離婚したのじゃなくて、もともと結婚してなかったことになってます)。さらに彼はアイアンマンみたいに大会社の社長。スパイダーマン・ファミリーともいうべきスーパーヒーロー仲間がいっぱいいる、という設定です。これってバットマンみたい(バットマンは養子やら実子やらの四人のロビンに加えて、男女問わず大量のバットマンファミリーがいるのです)。孤高のスパイダーマンはどうしたっ。
とまあ、本家スパイダーマンのピーター・パーカーは立派なオトナになってもう長い。一九六二年にお話が始まったとき、彼は高校生。すぐに成長して、一九六五年に高校を卒業して大学生。一九七八年に大学を卒業しましたから、社会人生活もすでに四十年。ただし二十五歳くらいで加齢が止まってるようです。
しかしわたしたちが見たいのはスパイダーマンの青春です。未熟な少年がスーパーヒーローと平凡な生活の間で悩みながら、あーだこーだ行動するのが面白いのですよ。読者にとって最も好ましいスパイダーマンの青春は、六十年の歴史のうち最初の十数年です。
なんでまたすぐにオトナにしちゃったかなあ。日本マンガなら大人気作品なんだから永遠の高校生にしておくところですが、そこは彼我の違いなんでしょう。年齢を重ねた方が世界がひろがるのは確かですし。
高校生スパイダーマンに人気があるのはマーベルもわかってて、「アルティメット」シリーズではピーターの高校生時代をイチから語り直しました。高校生時代を描いたリメイクシリーズも数多くあります。アフリカ系の父とプエルトリコ系の母を持つ、若きマイルス・モラレスを新スパイダーマンにしたのも、人種の多様性だけじゃなくて若さが欲しかったからでしょう。
さらにスパイダーマン映画。
二十一世紀になってからのスパイダーマン映画はアニメーションを含めて十本ありますが、主人公の年齢はすべて高校生から大学生。みんなスパイダーマンには若くあってほしいのです。
ちなみにわたし最近映画全作を見直しましたが、改めてサム・ライミ/トビー・マグワイア版の「スパイダーマン2」(二〇〇四年)は名作ですなあ。スパイダーマンが能力を失うという、転落そして再生の構造も見事だし、コミックの有名シーンと同じ構図を出して原作ファンを喜ばせたり、サム・ライミらしいホラー演出もあるし、音楽も監督の趣味全開でした。
一九六二年に「アメイジング・ファンタジー」十五号で初登場したスパイダーマンは、翌一九六三年、隔月刊の「アメイジング・スパイダーマン」で自分の名を冠した雑誌で本格デビュー。映画に出たヴィランたち、ドクター・オクトパス、サンドマン、リザード、エレクトロ、バルチャー、ミステリオ、グリーン・ゴブリンは全員、ピーターが高校生時代の敵として登場しました。
この最初期のスパイダーマンは『マーベルマスターワークス:アメイジング・スパイダーマン』というタイトルで邦訳されてます(二〇一七年、今は亡きヴィレッジブックス刊、訳者は小野耕世先生)。
スタン・リーとスティーブ・ディッコによる高校生スパイダーマンの物語はほんと面白い。スーパーヒーローでありながら、級友にはバカにされ、いつも金欠。バイト先のデイリー・ビューグルの社長からはどなられ、新聞からは社会の敵とたたかれれる。すでに始まりから、スパイダーマンにはすべての要素がそろっていました。
しかしただひとつ、ヒロインがいない。
本の虫と級友から揶揄されるピーターですが、周りに女の子がいないわけではありません。同級生のリズ・アレンにデートを申し込んではフラれる。その後、デイリー・ビューグルの社長秘書、ベティ・ブラントとつきあいますがうまくいかない。ベティは、ケガばかりしてるピーターが心配。そしてピーターも、スパイダーマンであることを明かすことができないことに悩みます。
この女性たち、残念ながらヒロインとしては花がなかった。
一九六五年にピーターが大学へ進学した後、ふたりのヒロインが登場します。メリー・ジェーン・ワトソンとグウェン・ステイシー。絵はジョン・ロミータ・シニアに交代。彼の描く女性は美人でおしゃれでスタイル抜群。スパイダーマン世界はすごく華やかになります。そしてこのふたりのおかげで、スパイダーマンのテーマがさらに深化しました。
覆面ヒーローと恋人との関係はどうあるべきか。このことがMJとグウェンの登場で、はっきりと意識されるようになりました。スーパーヒーローであることは恋人を危険にさらすから、きみとは付き合えない、と言ったそばから、やっぱ愛してる、別れられない、となってしまう。スパイダーマンの物語は初期から現在に至るまで、このくり返しがエンドレスで描かれることになります。
メリー・ジェーンの姿が初めて描かれたのが「アメイジング・スパイダーマン」四十二号。このあたりの邦訳はないのですが、最近はアマゾンなどで電子書籍として一冊ずつお安く買えるのでありがたい。
ピーターはメイおばさんといっしょに彼女の友人、アナ・ワトソンの家におよばれ。そこでもピーターは大学の同級生、グウェンのことをぼーっと考えています。「そういえば誰かが言ってたよなあ、彼女がぼくに気があるって」 ボンクラ全開ですな。
そこへアナの姪、メリー・ジェーン・ワトソンが訪れます。なんとMJの初登場はこの一年半前。彼女の顔は描かれないまま今回、三回目の登場にして初めて彼女の姿が明らかになります。制作側、読者を相当じらしてました。初対面のピーターに対して赤毛の美人がかけた言葉が「FACE IT, TIGER... YOU JUST HIT THE JACKPOT!」「おめでとうタイガー 大当たりよ!」
その後「アメイジング・スパイダーマン」四十四号。ピーターやグウェンを含めた友人たちのたまり場、シルバースプーンというコーヒーショップ。そこへメリー・ジェーンが姿を見せます。突然現れた美人に友人たちはびっくり。しかもピーターの知り合い!
MJはグウェンと初対面。「あなたがグウェン・ステイシーね。ピーターからいろいろ聞いてるわ」「あら、ありがとう」 ふたりの間になにやら火花が散ります。
四十七号。出征する友人を送るパーティ。ドレスアップした金髪のグウェンと赤毛のMJ。ピーターと踊るMJを見ながらグウェンが言います。「MJったら、ウエイトレス役を手伝うはずだったのに!」「わたしも踊らなきゃ!」 ピーターをめぐって、ふたりのダンスバトルが始まります。
この時期のピーターをめぐるMJとグウェンの甘酸っぱい物語、オリジナル版の邦訳はありませんが、二〇〇二年にジェフ・ローブとティム・セイルによってリメイクされました。『スパイダーマン;ブルー』 こちらも名作で邦訳があります(二〇一四年小学館集英社プロダクション)。
五十号。この号はスパイダーマンが一度コスチュームを捨てる有名な回で、『ベスト・オブ・スパイダーマン』(二〇一二年小学館集英社プロダクション)で邦訳されました。映画「スパイダーマン2」のモトネタでもあります。
ヒーローをやめたピーターは、MJと会ったりグウェンと会ったり。大学の勉強も進むし楽しいことばかり。「これが人生だね、言うことなし!」 しかし大いなる力には大いなる責任が伴う。ピーターは強盗事件にかかわることで、スパイダーマンに復帰することになります。
このようにこの時期、ピーター・パーカーの人生はふたりの女性のおかげで輝いていました。そしてピーターはMJに惹かれながらも、グウェンを恋人にすることになります。
しかしその後、グウェン・ステイシーの身に何が起こるかはご存じのとおり。邦訳は『スパイダーマン:ステイシーの悲劇』(二〇一四年小学館集英社プロダクション)があります。
グウェンの父親、ステイシー警部が死亡。グウェンは父親の死の原因はスパイダーマンにあると考え、彼を恨みます。
さらにグウェン自身もグリーン・ゴブリンにさらわれ、ジョージ・ワシントン橋のタワーから落とされる。スパイダーマンはクモ糸で彼女の足を捕まえますが、その反動が。
「SNAP!」という擬音がグウェンの首あたりに描き込まれています。
タワーの上に引き上げられたグウェンの息はありませんでした。ヒーロー活動のせいで恋人を失ったピーターは、あらためて永遠の悩みに直面することになります。スーパーヒーローであることは恋人や家族を危険にさらすのです。
このテーマはこのあともくり返しスパイダーマン世界で描かれます。映画「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」のラストもそうですし、そのモトネタとなった『スパイダーマン:ワン・モア・デイ』(二〇一二年小学館集英社プロダクション)もこのテーマを反映した展開でした。
さて、その後のMJとグウェンがどうなったかといいますと。
メリー・ジェーンはピーターと結婚後、ヒーローの妻として当然のようにいろいろとヒドい目にあったあと、二〇〇七年の「ワン・モア・デイ」で結婚そのものがなかったことになり、今は独身。ピーターとはつかず離れずの関係を続けているようです。
グウェンはスーパーヒーローもののアメリカン・コミックの登場人物としてはめずらしく亡くなったままですが、彼女のクローンが登場して、これもいろいろとヒドい目にあってます。さらになんと隠し子がいたという設定が出てきて、彼女の子供がヴィランになってスパイダーマンと戦ったりしてます。これってヒドくないですか。
やっぱ、スパイダーマンは若いのに限る。
店主はあいかわらずうかつである。あれほど好きだとほざいていた、よしもとあきこ「とーこん家族」の最終回を見逃していたのである。まったくもってうかつにもほどがある。
昨年夏頃に竹書房『まんがライフ』が廃刊になったのは気がついていた。しかしまさかそのあおりを食って『まんがライフオリジナル』の掲載作品である「とーこん家族」が2022年8月号で掲載終了となるとは(汗)『まんがライフオリジナル』が廃刊になるまで延々と連載が続くと信じ込んでいた店主は、なんとうかつだったのか!
なぜ『まんがライフ』の廃刊が『まんがライフオリジナル』掲載の「とーこん家族」の打ち切りにつながるかといえば、玉突き衝突によるもらい事故のようなものである。 要するに『まんがライフ』廃刊でも、そのまま連載終了するには惜しい作品(比較的売れてる作品)を存続するために姉妹誌に移籍掲載を考えたのだ。そのためには『まんがライフオリジナル』側に掲載スペースを作るため比較的人気のない作品を連載終了する必要がある。ちなみに今回は「とーこん家族」を含めて3作品が連載終了の憂き目にあっている。
さて半年以上を過ぎての掲載終了を知って、どうしたもんかと逡巡したが、そこはそれ蛇の道は蛇~なので色々手を尽くし(というほどではないが)無事最終回掲載号をゲット。
というわけで「とーこん家族」の最後をご紹介ですが、その前に… 「とーこん家族」なんてマンガは知らんという読者貴兄にまずは作品と作者紹介。
「とーこん家族」は、貧乏だけど貧乏に負けない不屈のとーこん魂を持つ家族のお話で、竹書房『まんがライフオリジナル』の創刊(1988年8月号)とほぼ同時期に連載開始された。そして2022年8月号までの実に34年という長期連載を誇った作品である。 作者のよしもとあきこは、1965年7月16日宮城県仙台市生まれ。21歳の時に「ネコがくる!」(竹書房『まんがくらぶ』)でデビュー。
とまあこんな感じ。
もっと詳細に関しては『漫画の手帖』のバックナンバーでどうぞ~(不親切)。
普通であれば最終回の内容を解説してしまうのは禁じ手なのだが、この先「とーこん家族」の最終回を一般の人が読むことはまず不可能だと思えるので、作品を惜しみつつ内容紹介してしまおう。
4年ほど前の漫画の手帖で「とーこん家族の謎」と題したコラムを書いた。その際に最大の謎としてなぜとーこん家族(竹田家)は貧乏なのかという点を指摘した。 前回コラムでは謎は結局未解決のままとなったが、今回の最終回でその謎は一挙に解決されることとなった。なんと竹田家には先祖代々貧乏の呪いがかかっていたのであった(笑)。300年前の呪いによって、金運からも見放されていた竹田家も最後は無事呪いが解けて、一挙に竹田タワーを建てるまでに成り上がった。良かったねとーこん家族(笑)。
出来ればよしもとあきこの新連載作品でも拝みたいが作者の年齢を考えるとちと難しいだろうなー。残念至極なり。
思えば今まで随分といろんなマンガに関して書き散らかしてきたなぁ。やっぱりたまにはホイホイ(補遺補遺)しないとねー。
ホイホイついでにもう1点。2019年ころのB録で澤江ポンポのツイッター(現在はX)上の漫画を紹介した。それは「パンダ探偵社」が連載中断するきっかけとなった大腸がんの闘病に関する漫画だった。かなり悲壮感漂う描写であったし、しばらくするとツイッター(現在のX)のアカウントも無くなった。 どうしたことかと危ぶんでいたが、2021年秋ころ、サンデーうぇぶり上で「断腸亭にちじょう」というガン闘病漫画が始まった。作者名はガンプと記載されていたが、絵柄から澤江ポンプだろうということが推測できた。その連載は今でも続いている(2023年8月現在30話)。最新話においても時間軸はまだ2019年夏頃なので、現在の状況は伺い知ることが出来ないが、病気も無事寛解して「パンダ探偵社」が再開されると嬉しいなぁ。
残念ながら…というか案の定なのだが、私の電子書籍シリーズは第3弾まで出たところでストップしている。
一応、第6弾まで出ることは決まっている…のだが、ストップしている理由は、私が描き下ろしカラー表紙とあとがき漫画を、なかなか描き出さないせいである。…自分のせいです、はい…。
ああ第4弾『ひとりぼっちの夜は…ファンタジー&ノスタルジー短編集』は、いったいいつ出るのであろうか。
とりあえず第3弾の『加代子ららばい』を読んでお待ちいただきたい。連載当時は、見るのも恥ずかしいと思っていた青年コミックコメディ。今となっては自信を持ってお勧めできます!笑えます!だってそりゃもう、とことん、とこっっとん、バカバカしいからね!(笑)
今回、残念話は以上である。ここで終わりというわけにもいかないので違う話をしよう。
ここから書くのは残念話ではない。唐突だが、あの、天才アニメーター月岡貞夫先生の話を書かせていただく。
6月末のこと、熱海に遊びに来た友人たちを起雲閣に案内した。ここは広大な庭園をレトロな建築がぐるりと囲む、熱海一押しの観光スポット。
建物を巡って行くと、奥の方にギャラリーがある。え、何?月岡貞夫展…だ…と??
展示は最近描かれた絵が中心だったが、あの、月岡貞夫先生(現在八十四歳)に間違いなかった! しかも在廊されていた! 聞けば数年前から熱海在住だそうだ。
展示されていた中で特に私が注目したのは『のっことぽろ』というマンガ。幼年向け雑誌からの切り抜きと思われる。オールカラー見開き2ページの森のリスの物語。作者名は「手塚治虫・月丘貞夫」となっている。
「これは昨日、たまたま部屋から出て来たんだ。すっかり忘れてたんだけど。手塚先生から丸でアタリをつけたのを渡されて、後は僕が描いた」
どうやら高校卒業したばかりの月岡少年が、アシスタントになって間もない頃に任せられた仕事らしい。既に上手すぎる。
月岡先生は次々にお話を繰り出してくれる。もっと聞いていたかったのだが、友人たちと予約した夕食の時間が迫り、後ろ髪を引かれる思いでその場を辞した。
帰宅後、私は『狼少年ケン』を見れないかと検索した。私の世代では月丘貞夫(その頃は「岡」ではなく「丘」表記)といえば、なんといってもこれだ。あった、ありました。第一話が丸々見れる!
…見て、驚いたの何の!『ケン』ってSFだったの?
出だしは(当時から見ての)近未来。地球に接近し過ぎた彗星の影響で地軸が狂い気候が大変動、大飢饉が訪れる、って始まりだった。あー、びっくりした。
これはもう一度伺って改めてお話を聞いてみたい。
7月末、開廊間もない午前中を狙って再訪。小一時間、お話を伺いました!
本当に面白く、興味深いお話が止まらなかった。たぶん誰に対してもそうなのだろう。
吉本浩二さんの『ブラック・ジャック創作秘話』4巻収録「第18話 六畳間の青春」に、私が聞いたのと似た話が描かれている。
月岡先生が新米アシスタントだった頃、手塚先生が物凄い剣幕で壁村氏(当時『まんが王』編集者)の胸ぐらを掴んだ話だ。
ただ漫画の中では「原因はよくわかりません」となっていたが、私は原因を聞かされた。
それはテレビ放送が、まだ全て生放送であった頃。演劇をやっていた手塚先生は人前でしゃべるのが大好き。テレビ局からの出演依頼があれば、喜んで引き受けていた。
生放送だから、放送される時間に合わせて必ずテレビ局まで出向かなければならない。その日も仕事場を抜け出して行こうとしたその時、壁村氏が無言で玄関に立ち塞がった。
「そこをどけ」「……」壁村氏はあくまで無言で、けれど表情で凄い圧をかけて手塚先生を通さない。
「ふざけるな!どけ!表に出ろー!」…と壁村氏の胸ぐらを掴む手塚先生。いつもの温厚さはどこへやら…。
そしてこれも吉本浩二さんが描かれている、東映動画『西遊記』の話。月岡先生が十九歳になったばかりの頃か。
手塚先生は多くの手塚番編集者を振り切って、東映動画に通っていた。そしてものすごい速さで『西遊記』の絵コンテを描き上げて東映に提出した。が、一緒に連れて来られた月岡少年が見ても(これではアニメーションにならない…)という絵コンテだった。
漫画とアニメでは絵コンテの作り方が全く違うのだ。どう違うかということを、月岡先生は私に「角度が…線が…」等々、教えてくれたが、それを説明することは私には不可能(泣)。
ただ「線」っていうのはあれだ。ちょっと昔、漫画家たちの間で話題になった「イマジナリーライン」のことだな、と思った。
結局、若き月岡先生が絵コンテ最終稿を作り、それを見た東映にスカウトされ、アニメーターの道へ進むことになる。
ここからは吉本さんの漫画には描かれてない話。
当時の東映動画はエリート集団。みんな芸大だの武蔵美多摩美だのを卒業して、東映の採用試験を突破して入社した。大学ごとに派閥みたいなものもあった。
そんな中で、試験もなしに高卒の若者が入社したのだ。先輩たちからどこかの裏に呼び出され、殴られたこともあったそうな。…ヒドイ。
当時の月岡先生のことを森康二さんは『森やすじとゆかいな仲間たち』で、こう書かれている。
「突然現れては、スタジオの中を飛び跳ねたり、サーカスに入団したでもないのに逆立ちして歩いて見せたり」…ん? ど、どういうこと?
月岡先生は私に話してくれた。「僕は子どもの頃からどうもじっとしてられず、教室をウロウロ歩いて先生にゴツンとやられ、頭によくタンコブができた」…それを痛かった、とか悔しかった、とか言うでもなく、子どもの頃からアニメーターらしい観察をしていたとみえて「やられると自分の頭を触って、段々膨れてタンコブになるのを確認した」とおっしゃる。「同じ場所をやられるとね、面白いことにタンコブが二重になるんだ」…とも。
「東映に入っても同じで、1枚描くとつい、みんなの描いてる後ろをウロウロしてね」…ちょっ…!
しかもしかも、ですよ。並いる一流大卒の精鋭たちより、この誰よりも若い新入りさんの方が上手くて早いと来ちゃあ、そりゃ、皆様さぞかしイライラなさったことでしょう!
私は『ケン』を見てから訊いてみたいことがあった。
「先生は東映でも虫プロでも、テレビアニメのお仕事は短期間しか携わっておられないのは何故ですか? やはり毎週の放送に間に合わせるために、あまりにも大変過ぎたからでしょうか?」
「うん、他の人たちは大変だったと思う。でも僕は絵を描くのは大変じゃなかった。なぜなら描くのが凄く早いから。当時、原画は1日十七枚描けばいいと言われたが、僕は二百枚くらい描けた。それも午前中でだいたい描けたから、一人で電車に乗って新宿で映画みてきて、夕方戻って続きを描いた」
…そ、それは…どこかの裏に呼び出されても無理はない…。
「大変なのは人間関係。人と関わるとめんどくさいことが色々あるから、全部一人でやった方がいいや、となった」
そしてめんどくさい例として教えてくれたのが
「例えば宮崎くんが入ってきた時、僕は作監だったので、彼の絵の上に自分の描いた絵をホチキスで止めて戻した。するとあとで他の人から『宮さんがすごく怒ってるよ。ホチキスで止めて返すなんて』って言われた」
あ…う…うん、「宮崎くん」の気持ちもわかる。自分とたいして歳の変わらない若者が作監で、ねえ…。
もうひとつ、是非訊いてみたかったこと。
「ユーチューブで『ケン』の第一話を見たら、始まりがSFだったことにも驚いたんですが、もうひとつ驚いたのが第二話の予告編です。タイトルが『白銀のライオン』で、白いライオンに会いに行く話、というのは『ジャングル大帝』を意識されていたのでしょうか? 手塚先生へのリスペクトとか、オマージュとか?」
第二話は、ウィキペディアによれば「狼の仲間なのに牙が無いと言われて海の彼方に住む白銀のライオンから牙代わりの短剣を貰う」という話だ。
月岡先生にとっては少年時代に読んだ漫画。『狼少年ケン』放送当時の私ら小学生には、生まれる前に連載終了している、まだ知らない漫画だった。
月岡先生は言った。「いやー、全然深く考えていなかったんだ。出だしも、白いライオンも、なんとなく自然に浮かんできて書いちゃったんだよ」
それを聞いた私は、なんだか感慨に打たれてしまった。そうか、無意識に出てきた物語だったのか。
思うにケンって子どもの頃の月岡少年そのものじゃないか? 子どもの頃から誰にも教わらなくても動画の仕組みを理解し、身につけたことを見ても、頭脳明晰であったことは窺い知れる。
けれどケンが狼の群れの中では「足が2本足りない」「牙がない」と、足りない者扱いされていたように、月岡先生も子どもの頃は苦労されていたのではないか。
そんな月岡少年が手塚先生にファンレターを出し、手塚先生は毎回お返事をして、何年も文通のようにやりとりをされていたという。「絵が上手くなりましたね」と書いてくださったり。それは少年に、どんなに力を与えてくれたことだろう。
まるで白いライオンは手塚先生で、生き抜いて行くための短剣を与えてくれたくれたような…。それを無意識のうちに物語にしてしまったのかも…。
などと。
すっかり妄想全開で書いてしまった。もちろんこれは正式なインタビューでもなんでもないので、ここに書いたことは単なる私の戯言として読み流してほしい。
以上、今回は番外編。残念要素ゼロ。月岡先生とお話しできて嬉しかったという回でした!